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【毒親育ちのエッセイ】#2 私が絶縁することになったきっかけ

テトロドかあさん タイトル画像

【絶縁する2日前のできごと】

れは2019年のゴールデンウィークのこと。

私たち夫婦は、休日を家族で過ごすために私の実家に2泊3日で帰省していました。

ゴールデンウィークと言っても夫の仕事の合間のつかの間の連休でしたが、年末年始も帰省できなかったので、久しぶりに顔を見せてあげたいという気持ち。

兄家族も帰省するとのことで、家族みんなで集まれる貴重な機会だな、とも思っていました。


帰省したその日の夕食前。

3才の甥っ子が車のおもちゃで遊んでいました。

「この子車好きやから、将来は警察官か消防士になりたいって言ってるわ」

と、兄嫁。

「将来楽しみやね〜」

そんな相づちを打ちつつ、みんなで甥っ子を見つめる、ほのぼのとした時間のはずでした。


ところがです。


「将来、音楽だけはやめとったほうがええよ」



青天の霹靂のような一言が、母の口から放たれました。


家族の中で、音楽をしているのは私だけ。

その言葉は明らかに私を侮辱する響きを持っていました。



確かに、私は音楽活動で生活ができるほどではありません。

でも、それなりにポリシーを持ってやってきたつもりです。


地元の「山口新聞」で記事に取り上げていただいた時には

「近所の人に声かけられたよ」

と母は誇らしそうに言っていました。

その記事をきっかけに、高校のOB会にゲストで呼んでいただき、その会に偶然母の同級生が出席しており、連絡先を交換できたことがきっかけで、母は数十年ぶりの同級生と電話で話をすることができたと喜んでいました。

私が住んでいる西宮の酒蔵の蔵開きに出演した時には、母は親戚一同を会場へ呼び集めて、満足そうにライブを見ていました。

音楽を通して、少しは母に恩返しができたかもしれない、と思っていたのです。



ですが、その気持ちは母の一言でくちゃくちゃに破り捨てられました。

いや、勝手に私が期待していたのかもしれない。

母に少しは認めてもらえているだろうと。



小さい甥っ子の手前、反発するわけにもいかず、ショックな気持ちを無理やり飲み込んでその夜を過ごしました。

それでも頭の中では、何度も

「音楽だけはやめとったほうがええよ」

という言葉が繰り返されていました。


【絶縁することになったきっかけ】

晩明けて翌日。

昼間に私は母から

「もらった洗剤があるからあげようか」

と声をかけられました。

当時の私は不妊を気にして、家中の洗剤をかなりこだわって選んでいたので、

「洗剤は選んで買ってるからいいよ、お母さんが使いなよ」

と断ったんです。

ところが、その夜再び母が洗剤をすすめてきました。

私は困惑して、再び断りました。

すると、

 

「誰の金で生きとると思っとるん」

と、ややキレ気味で言われました。

 

私はその言葉の裏側に

「自分で生きてるわけでもないお前が断る資格はない」

「だまって受け取ればいいものを」

という、侮辱と支配的なメッセージを感じていました。

 

私がパートタイマーになったのも、不妊を気にして夫婦二人で決めたことでした。

どうして母にそんなことを言われないといけないのか、背後でその言葉を聞いていた夫に申し訳なく思いました。

反論すれば、多分おさまりがつかなくなる。

言葉を飲み込んで、その場を立ち去り寝室に向かいました。



寝室は母屋とは違うはなれにありました。

部屋に入るやいなや、私は声をあげて泣きました。

怒りと悲しみで体は震え、頭は割れるように痛く、刃物でもあれば今この場所でのどをかっ切って死んでしまいたいと思うほどでした。

かっ切るもののない部屋で、私は障子を破りました。

子供の時にもしたことがないことですが、そうでもしなければ心のやり場がなくなっていたからです。


そこは私が生まれ育った家ですが、

「帰りたい」

心からそう思いました。

「ここは私の家ではない」と、昔にも思っていたことを思い出しもしました。

その夜は一睡もできず、明るくなって鏡をのぞくと、下唇が真っ黒に鬱血していました。

朝、両親が朝市へ買い物に出かけたのを見計らって、私たちは家を出ました。

それが私の「絶縁」となりました。


【あなたの娘をやめます】

の場合は、絶縁しようと思ってしたわけではなく、ささいなきっかけが重なった結果として、絶縁することになりました。

もし、どちらかの言葉だけだったら、こんなことにはならなかったかもしれません。

でも、どちらの言葉も、私の生き方、人格を否定するニュアンスを含んでいる言葉であり、それは私が幼少時代からずっと母から受けていたものでした。

言葉は違えど、同じような屈辱を私は以前にも何度も感じたことがあるのを思い出しました。

あの夜、私の中に蓄積していた感情の記憶は、「思い出してくれ」と言わんばかりに私の心臓を激しくノックしていました。

ぎゅっとこぶしを握りしめ、声をあげて泣いた過去の日のことを、私はいくつもいくつも思い出したのです。

幸か不幸か、あの2つの言葉がほぼ同時に発せられたことにより、これまでなんとなく感じていたことが私の頭の中で確定することになりました。

私が生まれ育ったのは「機能不全家族」であり、母は「毒親」であり、私は「アダルトチルドレン」であるということです。

そして、その事実と屈辱的な感情の記憶は、「絶縁」をするにはもっとも最適なタイミングで私にもたらされました。

当時の私にはツライことでしたが、ふり返ってみると「来るべき日が来ただけだ」という気がします。



一方、母のほうはささいなケンカだと思っているかもしれませんね。

破れた障子を見て、ひどい娘だと腹を立てたかもしれません。

そして、また時が経てば機嫌を直すだろうと思っているかもしれません。



残念ながら、もう二度と以前のような親子関係にはならないでしょう。

部屋の障子は張り替えられるけど、私の心の障子はずっと破れたままです。

その障子はあなたが破ったんですよ。

私はそれを体現したにすぎません。


あなたが抱いている「親子関係」は幻想です。

それは私の忍耐によってなんとか保たれていた関係だからです。

ですが、それもリミットがきてしまいました。

それもあなたが、最後のダメ押しをしたのです。

責めるならあなたご自身のこれまでの言動を責めることです。

 

以上のことにより、私はこの絶縁をもって、あなたの娘をやめることをここに宣言いたします。