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【毒親エッセイ・テトロドかあさん】母の日はいらない

テトロドかあさん タイトル画像

【形式の感謝】

が母と絶縁したのは2019年の5月、ゴールデンウィークのことでした。

それから1週間後、といえば「母の日」です。

スーパー、百貨店、電車の吊り広告、ありとあらゆる場所で否が応でも目に入ってくる

「お母さん、ありがとう」

の文字。

毎年なんとなくのうっとうしさは感じてはいましたが、この時は特に不快に感じました。

目に入るポップの1つ1つが、私に

「あなたはお母さんに感謝しないの?」

と下世話に声をかけてくるような感覚でした。

私自身は、母に感謝はしています。

でも、普通に感謝したいのに、感謝させてくれないことってあるんだなぁと思いました。

たとえば、以前に書いた洗剤の件だって、

テトロドかあさん タイトル画像【毒親エッセイ・テトロドかあさん】 私が絶縁することになったきっかけ

私が断った時にすっと取り下げて

「いつでも困ったことがあれば言ってくれたらいいんだからね」

と言ってくれれば、素直に「ありがとう」と思ったと思います。

母は昔から私が気分を害する言葉をあえてチョイスし、私を挑発してくるような人でした。

私の嫌いな食べ物を知っておきながら、

「送ろうか?」

とわざと聞いてくるようなこともありました。

素直に

「ありがとう」

と、どうして言わせてくれないのでしょうか。

そうそう、私が中学校の卒業式の時に、カーネーションを教室で親に渡すという茶番をさせられました。

(人に言われてするんだから茶番以外の何でもないと思うんですが。)

私は照れ臭かったこともあったし、その当時は男っぽいしぐさに自分が憧れていたこともあって、母にそのカーネーションを横を向いたまま渡したことがありました。

母は私のその態度に激昂し、

「ここまで育ててやったのは誰のおかげだと思ってるんだ」

みたいなことを言って、私を置いて帰ってしまったのです。

素直に感謝させてくれない割には、形式にこだわる人なんだなってことがよくわかる一件でしたね。

私からすれば、私と中学時代にまともに向き合いもしなかったのに、よくも感動的な卒業シーンを期待できたな、という思いです。

というか、当時の私をよく観察していれば、そういう渡し方をしても不思議はなかったはずです。

今ふり返るとそう思うのですが、当時はやっぱりショックが大きかったです。

置いて帰られたこともショックだったけど、何より私の本当の気持ちを理解してもらえなかったことが私にはショックでした。

そういうこともあったし、実家を出てからは母の日に電話がないと

「今日は母の日なのに電話がなかった」

と催促の電話がきたこともありましたね。

しかしながら、母がばあちゃんに対して「ありがとう」と言う姿は、ばあちゃんが死んだ時ですら見ることはありませんでした。

自分が母親に敬意を持たないのに、どうしてその子供が自分に敬意を持つのでしょうか。

子供は母親の背中を見て育つのです。

一度でも誰かに感謝する姿を私に見せてくれましたか?

正直、私は母のそのような姿を見たことはないです。

父に対してですら、見たことありません。

私が感謝ができない子供だと感じたのならば、ご自分のあり様を省みてみるのがよろしいかと思います。


【母の日不要論】

式の「お母さんありがとう」は、世の中の母親の承認欲求を満たしているでしょうか。

私のように、毎年5月になったらしぶしぶ連絡を取っている子供はどれくらいいるでしょうか。

もういい加減、経済を動かすための「母の日」はやめにしませんか。

世の中の「母」像は必要以上に美化されすぎだと思います。

これは、アダルトチルドレンにとってもそうですが、母親自身の首をしめることにもなっているから余計にそう思うのです。

「母性信仰」や「母性愛神話」という言葉を聞いたことはありますか?

女性には母性が備わっており、母親になれば自分を犠牲にして子供に尽くすことが自然だし当然であるという考え方のことです。

そういった考え方は、母親を悪く言うことをタブー視する反面、母親自身にも自己犠牲的な子育てを強いるプレッシャーを与えています。

スーパーのお惣菜コーナーで、ポテトサラダを買おうとした母親に対して

ポテトサラダくらい作ったらどうだ

と、見知らぬ男性が苦言を放ったことがツイッターで話題になりましたが、そのことに象徴されるように、母親であるがゆえの世間からのプレッシャーがあるということです。

「お母さんなんだから」

という言葉で、叱咤激励?されることもあるでしょう。

戦時中のように女性が労働力としての子供を何人も産み、戦争へ行く夫や労働する他の家族に代わって子育てをしなくてはならない時代とは違って、現在は家族の構成員全て、ひいては社会全体で子供たちを育てていこうという時代。

場合によってはじいちゃんばあちゃんも子育てに協力するし、もっと言うと、昔と違って子育て世帯に対する社会的な優遇はかなり大きいものがあります。

つまるところ、本来誰もが「ありがたい」存在なのです。

とってつけたような「父の日」もありますが、それは今はちょっと置いておくとして、「お母さんありがとう」をピックアップするんだったら、「いつも労働ありがとう」と搾取される側のことも感謝して欲しい思います。(半分やけくそ)

感謝はしたい人がしたい時に、したい人にすればいいのです。

5月が来たから、誰かに言われたから、他の人もやってるから・・・

そんな感謝、してもらって嬉しいですか?

また、「母親ならポテサラは手作りすべき」みたいな概念に縛られたいですか?

母親には美化された母親像を女性に押し付け、子供には感謝の押し売りをし、アダルトチルドレンには感謝できないつらさを与える。

「母の日」というビジネスは、一体誰を幸せにするんですか?

毎年何枚のスカーフが、ハンカチが、売れずに廃棄されてるんです?

「母の日」に儲けなきゃつぶれる店なんか、とっととつぶれてしまえばいいと思います。

私は母の日なんていらないです。


【何もしない初めての母の日】

分あてつけみたいな文章になりましたが(汗)、私自身は物心ついて何もしない母の日というのはこれが初めてでした。

肩たたき券(効力無効)、遠足に行った先で買ったスカーフ、母の日の絵画、化粧水、感謝の手紙・・・

いろいろしたりしなかったりしましたけど、今思うとやっぱりぎこちない関係でしたね。

生きているだけでいい、そう思ってくれないかな。

もういろいろ頑張るのは疲れました。

私、多分母の日以外にもずっと母のために頑張ってきたので。

母の日のポップがうざくて外出を極限にまで減らしていたこともあり、母の日は例年よりもよそよそしく、足早に去っていきました。