【毒親コミックエッセイ】テトロドかあさん #7 もう誘わない

テトロドかあさん タイトル画像

じゃばみ(@jabamichan)です。

コミックエッセイ「テトロドかあさん」は、アダルトチルドレンだと自覚するじゃばみが、アダルトチルドレンを克服するために描いているノンフィクション漫画です。

まずは、今日の4コマ漫画をどうぞ。

テトロドかあさん 4コマ漫画 毒親

 


 

【気づいたら友達の輪の外にいた】

 

さて、今日のお話は同級生から遊びに誘われなくなってしまったという話。

 

小学生だった私は、ありがたいことにたくさんの習い事をさせてもらっていた。

全盛期には母の経営する塾の他に剣道、ピアノ、お茶、絵画教室、スイミング、英会話、習字、そろばんの8つもだ。

すごく忙しい小学生だったことに間違いない。

 

そんな小学時代のある日、学校に行くと、仲のよかった友達どうしが

「昨日は楽しかったね〜」

という話で盛り上がっていた。

 

お泊り会をしていたそうだ。

私には誘いすらなかったのに。

 

帰宅して母に「私もお泊り会をしたい」と言うと

 

「うちは仕事が忙しいから、人をもてなすこともできない。

だから、家に友達を呼ばないでほしい。

そしてお返しもできないから、誘われても断りなさい。」

と言われた。

 

うちにはうちの事情があるので仕方がない。

でも、そんなこと小学生には関係のない話だ。

 

気がついたら、友達の輪に入れない自分がいた。

習い事で流行りのテレビ番組も観ることができず、友達の話についていけない。

 

そして言われた一言が「勉強ばっかりやからもう誘わない」ということ。

 

1学年1クラスしかない田舎で、友達の輪に入れないというのはすごくつらいことだった。

 


 

【近所の人が私を救ってくれた】

 

以来、私は空いた時間に下級生とばかり遊ぶようになった。

事情を知らない、近所の下級生は私には誘いやすかった。

 

玄関で「◯◯ちゃんあそぼー!」って声をかけ、いなかったらあきらめて帰る。

約束を必要としない関係が楽だったのだ。

 

下級生と遊ぶと、下級生のご家族がすごく喜んでくれる。

年上だからか下級生もどこか私を立ててくれるようなところもあり。

どこかで承認欲求を満たしてくれる存在を求めていたんだと思う。

 

そんな感じの、ちょっと孤独な小学生だったかもね。

でも、完全な孤独に陥らずに済んだのは、そうやって遊んでくれた近所の下級生と、それを見守ってくれた大人たちのおかげだと思う。

 

最近は、近所付き合いをわずらわしいものとして避けるような風潮がある。

個人情報だ、プライベートだ、と言って他人を自分の生活から切り離し、関係のないものとして生活する。

そういう生き方は、気が楽で、一見自由だ。

 

でも、孤独といつも隣り合わせで生活しなきゃいけない。

 

独居老人は話し相手に困り、行きつけの喫茶店のマスターを独占して嫌われ者になったりする。

それでも行き場があるだけいい。

行き場のない子供はどこに逃げたらいいんだろう。

ご近所の存在は、子供にとって逃げられる場所、ちょっとだけ気をゆるめられる場所になりうることもある。

 

今の子供たちにも、たとえ昔のような「ご近所」という民間のおうちでなくても、家庭という閉鎖的な環境を離れて少しほっとするような場所があってほしいと思う。

 


 

 

学校のクラスも一つの社会。

流行りのテレビを見て人と話を合わせるというのは、社会人としては必須のスキルだと思うが。

特に母が私に望んだ、ごく一般的な企業のサラリーマンならなおのこと。

 

しかしながら、母はことごとく、私が社会で円滑に生きていくための人格形成のチャンスを奪ってきた。

 

時々暴走するいびつな正義感や、コントロールできない被害妄想はたびたび同級生を困惑させた。

同級生を試すようなことを言ったり、わざと空気をかき乱すようなことを言ったりもした。

母の教育によって生まれた「孤独で寂しい気持ち」が私をそんな困った人に育てたのだ。

 

残念ながら、そんな人はきっと企業で当たり障りなくサラリーマンなんかできないだろう。

現実に私は集団社会が苦手だ。

おまけに他人との距離感をつかむことも苦手。

 

そしてその姿は、同じく集団社会が苦手であろう母そのものだ。

母の教育は見事に、人付き合いが下手くそで社会に馴染めない世間知らずの母のコピーを育てたのだ。

 

これが母の望んだ私の未来像だったんだろうか、はなはだ謎である。

 

つづく