【毒親コミックエッセイ】テトロドかあさん #12 ついつい

テトロドかあさん タイトル画像

夫婦円満ユーチューバーKŌJIYA 嫁の じゃばみ(@jabamichan)です。

コミックエッセイ「テトロドかあさん」は、アダルトチルドレンだと自覚するじゃばみが、アダルトチルドレンを克服するために描いているノンフィクション漫画です。

まずは、今日の4コマ漫画をどうぞ。

テトロドかあさん 4コマ漫画

 


 

【炎天下の車内で待たされた過去】

 

今回のテーマは、炎天下の車内に子供を置いて行く親について。

年に数件はこの類のニュースを見聞きするが、そのたびにいたたまれない気持ちになる。

 

「パチンコに行っていた」なんて理由が多いのかな、と思い調べたところ

 

「パートナーが保育園に連れて行ったと勘違いしていた」

「寝ていたのでそのままにしておいた」

「車からおろすのを忘れていた」

「車に乗せたことを忘れていた」

など信じられない理由で子供が亡くなっているケースがあるようだ。

亡くなった子供の年齢は0歳〜9歳、特に乳幼児が多いそうだ。

 

かく言う私も、車中に放置されたこと何度もある。

 

母は、仕事の書類を事務局に持って行く時によく兄と私を連れて出かけた。

 

いつも決まって

「すぐ戻ってくるからね」

って言うのだ。

 

そう言っておきながらすぐ戻ってきた試しは一度もない。

 

夏の待機時間は本当に地獄だ。

母の「すぐ」っていうのは一体何分のことを言うのか。

長い時で40分近く戻ってこなかったこともある。

 

当時は、当然ながらスマホや携帯ゲームはない。

「熱射病」という言葉はあったものの、「熱中症」という概念もない。

水分補給という考えもなかった。

閉め切った車内はあっという間に温度を増し、兄と2人、じわじわとふき出す汗を感じながらひたすら母を待つ。

なんと長い時間だっただろう。

 

戻ってきた母は

「ごめんごめん、ついつい話が長引いちゃってね〜」

と悪びれもしない。

エアコンのきいた涼しい部屋でする立ち話は、さぞ快適だったことだろう。

 

これが日常茶飯事だった。

 

ちなみに1990年8月の山口県の平均最高気温は34℃前後。

昔だから気温が低かったのかもしれないと思い、調べてみたが全然そんなことはなかった。

 

ちなみに、JAFのサイトでは、晴天下の車内の温度変化上昇のテスト結果が掲載されている。

それによると8月の晴天下の車内温度は、エンジン停止からわずかな時間で上昇し、エンジン停止15分後には熱中症指数は危険レベルになるそうだ。

詳しくはJAFのサイトをご覧ください。

 

たまたま私たち兄妹が熱中症にならなかっただけだ。

よかったね、子供がついつい死ななくて。

 

また、熱中症の危険は夏だけではなく、春〜秋まで広く注意が必要、とのこと。

この記事をご覧のみなさんは、子供やお年寄り、ペットをちょっとの時間でも車内に残さないように配慮してあげてほしい。

 


 

【人を平気で待たせる母】

 

このことにもまあまあ憤りを感じるが、もっと腹立たしいのは、母は人を待たせるということを何とも思わないことだ。

しかも「ついつい」というのが多すぎる。

 

ほんの数ヶ月前にもそんなことがあった。

 

私の実家は、新幹線の駅から高速バスを乗り継ぎ、バス停からさらに車で20分の場所にある。

なので、車でバス停まで迎えに来てくれるという話だった。

ところが、バスを降り、周りを見渡しても誰もいない。

 

終点だったので、バスに乗っていた全員が降り、私は全員の背中を見送った。

乗客を下ろし終えたバスは、一息ついて走り去って行った。

そしてバス停には私と相方以外誰もいなくなった。

 

田舎の高速バスだ。

よっぽどの渋滞がない限り、到着時刻が大幅にずれるということはない。

 

もしかして、到着時刻を間違ったのかな

まさか途中で何かあったのかな

 

いらない心配をしかけたところでやっと車が見えた。

 

母は、

「ついつい畑仕事が長引いちゃってね」

と悪びれもなく言った。

 

ふるさとでの時間を大切に過ごそうと思う気持ちをしょっぱなから台無しにしてくれるサプライズだ。

 

もちろん迎えに来てくれるのはありがたい。

でも私は、待ちぼうけをするために帰っているわけではない。

それに、私は野菜を食べるために帰省するのではない。

両親に顔を見せるために帰省しているのだ。

 

タイムイズマネーという言葉がある。

母は私の不注意で銀行の時間外手数料がかかってしまった時「もったいない」と言って散々私のことを罵倒したが、私からしたら待ちぼうけをくらっている時間の方がはるかにもったいない。

 

数分待ったくらい、と言うが一度の話ではない。

母がこれまでに私を待たせた時間を集計すれば、1日くらいは多く生きられると思う。

私が今行っているバイトの時給で換算すれば、一生涯で銀行に払う手数料よりかは高くなるはずだ。

 


 

【いつかは最後の日が来る】

 

この記事を書いている時点で、母は今69歳。

女性の平均年齢は87歳とする。

絶縁するまでの数年間、私が帰省していたのは年に3回ほど。

つまり、(87-69)×3=54、平均寿命をまっとうできたとしても、あと54回しか会えないということになる。

場合によってはもっと少ないかもしれない。

 

人間には終わりがある。

 

もし1年後に死ぬと言われたら、1日1日をどう過ごすだろうか。

もう会うのは最後かもしれないと思ったら、その人とどう接するだろうか。

 

もし、私があの時車で死んでいたら、もっと時間を大切にできたかもしれないけれど。

 

 

私が母と連絡を絶って3ヶ月が経った。

私は「ついつい」怒っているわけではないが、今度はあなたが待つ番なんだろう。