【毒親4コマ漫画】テトロドかあさん #14 ケーキはよ

テトロドかあさん タイトル画像

じゃばみ(@jabamichan)です。

4コマ漫画「テトロドかあさん」は、アダルトチルドレンだと自覚するじゃばみが、アダルトチルドレンを克服するために描いているノンフィクション漫画です。

まずは、今日の4コマ漫画をどうぞ。

4コマ漫画 テトロドかあさん 毒親


 

 

【母とのよかった思い出】

 

いつも重苦しい話題ばかりなので、今回は少し気分を変えて、母とのよかった思い出も書いてみたいと思う。

母は、誕生日などの記念日以外にも、気まぐれにお菓子を作ることがあった。

フルーツの缶詰やいちごを使ったフルーツケーキが定番。

チーズケーキやマドレーヌなんかもよく作っていた。

 

気まぐれに作るもんだから、思ってない時に手伝いを頼まれるのは少しイヤだったが、その経験が今に生かされていることを思うと、多少なりとも感謝はしている。

 

何気ない生活の1コマだが、子供の時のこういう経験はすごく大切だと思う。

 

そして、いつも楽しみにしていた、ハンドミキサーのビーター。笑

「舌を切らないでよ」

と苦笑いされながらも、洗い物が楽になるという理由で許してくれていた。

 

ケーキがあるのに、私も兄も、その残った生クリームを舐めるのが大好きで。

今は1人でいる時にケーキを作ることが多いので、ビーターを独り占めできるささやかな贅沢を楽しんでいる。

で、生クリーム食べ過ぎてちょっと胃もたれしてしまう・・・私も立派なオバちゃんだ。

 

 


 

【時短が母の心を貧しくする】

 

こうして思い返してみると、忙しいながらも母親らしい一面もあったのかなと思う。

母はその後パン作りを始めたのだが、そういう時の母はすごく楽しそうに見えた。

 

それもつかの間、そのような姿を見ることはすぐになくなった。

 

パン教室に通っていた時は、ロールパンやらコーンパンやらいろんなパンを作っていたのだが、最近はホームベーカリーに材料を放り込んで作る食パンばかり。(しかも父がやってる。)

 

母は、新婚時代父に

「ちゃちゃっとおいしい料理を作れるところが好き」

と褒められたと話していたのだが、時間に追われる日常がそれを極限まで美化してしまったのだ。

だから、母は年月が経つほどに「時短」にこだわるようになった。

(その割には料理は食べる頃には冷めてしまっている。)

 

「時短」って技術やアイデアの結集みたいなとこもあるから、それ自体は悪くはない。

でも、それにとらわれすぎて、大切なプロセスとそこで育まれる心を失ってしまっているのではないかと感じるのだ。

 

 

私が子供の頃、母は遅くまで仕事をしていたので晩ごはんはばあちゃんがいつも作っていた。

ばあちゃんは、毎日16時には台所に立って晩ごはんの準備をしていた。

どの料理もほっこりと優しく、おいしかった。

私もそれにならって、毎日でなくとも、少しだけ手間をかけて料理をしたいと思う。

 

料理にはいろんな行程がある。

食材を洗い、刻み、炊き、盛り付ける。

その間に食材の温度や質感、色、香りを感じ、じゅうじゅう、コトコト、いろんな音を聞く。

いろんな作業をしながら、仕事のこと、明日のこと、相方のこと・・・いろんなことを考える。

時には考えることも忘れて、無心で作業をする。

 

そうすると、食卓に料理を並べる頃には心が落ち着いて、ごはんをおいしくいただける。

ごはんを食べられる幸せを噛みしめる。

相方やいろんな人に感謝をする。

 

その全てが食事だと私は思っている。

 

時短料理は、それを全部省略した、いわば空腹を満たすことに特化した作業だ。

食材にも、一緒に食事する人にも、自分にも向き合わない。

それじゃ、心が貧しくなっても仕方がない。

 

そういえば、実家でほこりをかぶった手挽きのコーヒーミルをみつけたことがあった。

「昔はそれでコーヒーをいれたらおいしいんじゃないかと思って買ったけど、忙しくてそれどころじゃなかった」

という言葉が母から返ってきた。

 

新婚当時、コーヒーミルでコーヒー豆を挽きながら、夢を語り合っていた若い夫婦がいたのではないだろうか。

 

一体、母はどこへ向かっているのだろう。

 

 

 


 

【ひまがこわい母】

 

母に休みはない。

それは、家事には休みがないとは別の意味だ。

というのも、母は時間がある状態をよしとしない人だからだ。

要するに、ひまがこわいのだ。

 

母は過疎化で塾の仕事が減った今、畑仕事でそのひまを埋めている。

目一杯働いて、働いて、とれた野菜を同じく目一杯ダンボールに詰め込んで送ってくる。

まるで、自己犠牲を褒めてほしいと言わんばかりの量だ。

 

それならそれで、手間ひまかけて、有機栽培でも農薬散布でもすればいいのだが、母の送ってくる野菜は虫が多すぎてぞっとするようなことが多い。

「安心して食べられる」どころじゃない。

下手したらトラウマになりそうなほど虫がついているのだ。

私にはそれが手抜きに感じられて仕方ないのだ。

 

「こんなに頑張っている私を愛して!」と主張するのに、愛されるためのプロセスが欠落している。

それでは達成感もないから、さらにいろんなものを日常に詰め込むのだろう。

そして詰め込まれたいろんなものが時短され、精度を失っていく。

きっと私も、母の人生に詰め込まれたいろんなものの1つだ。

 

 

十分に焼けてもいないのに、スポンジケーキをオーブンから取り出して生地をつっついたりかき回したりするような人はいない。

でも、今母は私にとってそんな人に見える。

 

生焼けのケーキでも作りたいのだろうか。

母の人生、それでいいんだろうか。

 

つづく