【毒親コミックエッセイ】テトロドかあさん #25 勉強以外に金は使わん

テトロドかあさん タイトル画像

じゃばみ(@jabamichan)です。

コミックエッセイ「テトロドかあさん」は、アダルトチルドレンだと自覚するじゃばみが、アダルトチルドレンを克服するために描いているノンフィクション漫画です。

まずは、今日の4コマ漫画をどうぞ。

テトロドかあさん 4コマ漫画


 

【おしゃれに目覚める中学時代】

 

今日のお話は中学時代のこと。

当時はプリクラができたばかりで、学校の休み時間になるとクラスではプリクラの交換をしたり、プリクラ帳を作って見せ合ったりするのがトレンドだった。

今の子たちもそんなんするんかな・・・?

 

問題は、プリクラの方じゃなくて。

やっぱり中学生にもなると、女の子はファッション雑誌を見るようになっておしゃれに興味を持ち始める。

当時は読者モデルってのも全盛期で、私も小学館が出していた雑誌「プチセブン」が大好きだった。

その頃のモデルさんが今でもCMで活躍してるのを見るとすごく嬉しくなる。

 

うちの家は萩市街からは少し離れていて、友達と遊びに行くには「萩に行こう」と約束をしてバスに乗って出かけていた。

その日ばかりはみんなおしゃれをする。

ちょっとした漫画とかジャニーズのグッズとか文房具なんかを買って、プリクラを撮って帰るってのがお決まりみたいな。

 

みんなかわいい服、流行りの服を着てるのに、なんでうちにはそんな服がないんだろう・・・

正直そんな風に思っていた。

 

兄のお下がりのパーカーとかよく着てたな、、、

 

しかしながら、全く服が買い与えられなかったわけではない。

母は自分がデザイナーをしていたことにプライドを持っていたと思うのだけど、母の買う服は流行とは全く違っていたし、デザインも古かったり、色も私の好みとは全く異なっていた。

時々、母のお友達の娘さんの服をもらってきたりもして。

だから、私の着たいと思う服はほとんどなかった。

 

それに対して「着たい服がない」と言うと

「勉強にはお金出してあげるけど他のことには使わない」と言われた。

 

今思えば、服に全くお金を使っていなかったわけではないけど、結局自分が娘に着せようと思う服を買って来るばかりで、そこに私の好みは考慮されてなかったってこと。

まあ、育ててもらう身分としては当たり前なのかもしれない。

自分の欲しい服は自分で買えってことだったのかな。

 

だけど、私自身はやっぱり「友達とは違う自分」に対して苦しんでいた。

母の買ってくる服は確かに、流行のものと違って生地や縫製は良いものだったのかもしれない。

でも、中学生の私にはそんなもんどうだってよかった。

他の子が着ているような、今風の普通の服が着たかった。

できたら、自分が着たいと思う服を。

 

まがいなりにも自分が過去にデザイナーをやってたんなら、娘がおしゃれに目覚めたら「おっ!」と思うもんじゃないのかな。

「勉強も大事だけど、洋服も楽しいよね」

一瞬でも青春を捧げたデザイナー時代があるなら、ちょっとくらいそういう親子の会話があってもよかったと思うけど。

 

 


 

【教育熱心な母は娘をカスタマイズしたがる】

 

そんな娘の本心とは裏腹に、そういった母親の姿はハタから見ればすごく教育熱心に見えるんだろうな。

「私は全てを投げ打って、あなたに勉強をさせてあげたのよ」

母からも、そういうニュアンスの言葉を何度も聞いてきたから。

 

でも、それって自己満足じゃない?

だって私の意志はそこになかったんだから。

 

歌が習いたいと小学生の時に言った時、そういう教室があるということまではわかったけど、結局お金を理由にさせてはもらえなかった。

(うろ覚えですが、のどにスプーン入れられるとか母に脅されて諦めるように誘導されたと思う。)

 

高校時代、市が公募していたミュージカルに挑戦してみたかったけど、ダンスレッスンに通うことが条件で、それもお金がかかるということで諦めた。

 

もちろん、他にたくさんの習い事をさせてもらった。

でも、本当にやりたいことはできなかった、というのが本音だ。

 

母からすれば、習い事は教養レベルでよくて、勉強さえできれば何でもよかったのか。

だとすれば、ピアノの発表会後に毎回怒鳴られたことは今でもおかしいと思う。

練習する気力も時間もなかったと思う。

当時はやる気もなかったし。

怒鳴る前に、どうしてできなかったのか一緒に考えることはできなかったのか。

でもなんでそうしなかったかって言ったら「自分が恥をかかされた」というのが怒りの理由だからじゃないの?

 

そういったことを考えると、母の私に対する教育は支離滅裂で、理不尽だったと思う。

 

タンスの服と一緒。

私の人生を母好みにカスタマイズしたかったんだろう。

実家にある洋服ダンスの大きさは、母の見栄の大きさを表しているんだと思う。

 

中をのぞいても、そこに私はいない。

そんな空虚な人間を作り出したにすぎない。

 


 

【誰のための勉強】

 

私は自分のことを決して立派な社会人とは思わないけど、これまでの人生の中でいろんな勉強をしてきたし、まだまだ勉強の毎日だと思っている。

今までは、目上の人に対して年上だからってエラそうにすんな!とか思ってましたけど、35年生きてきて、この数年だけでも本当に多くの気づきや学びがあったと思い、やっぱり「年の功」ってあるんだなぁと思うようになった。

 

しかしながら母を見ると、日々の暮らしの中で一体何を学んでいるんだろうと感じてしまう。

そんな母が「勉強こそ全て」みたいなことを姪っ子や甥っ子に言うのを見て、ドン引き。

 

どうして日々の暮らしから学ぼうという姿勢のない人が勉強の素晴らしさを語れるんだろう?って。

 

母は自分の間違いは決して認めないし、失敗を分析したりしない。

逆ギレして、見ないふりをする。

 

だから、母の頭は多分中学生くらいでストップしていると思う。

未だに、勉強さえすればいい大学に入れていい企業に就職できると思い込んでいる。

いい大学ってなんだ。

いい就職ってなんだ。

それは一体誰にとっていいもの?

 

 

そこまで考えると、母が人に自慢したいだけなんじゃないのって思う。

なぜって自分が自分に自信がないから。

だから身内を使ってマウントとろうとするんでしょ。

インスタ映えみたいなもん。

 

そんなもん押し付けられた方はたまったもんじゃない。

幸いにも私以外の方々は映える人ばかりなので、よかったね。

 

 

勉強とは人にさせるものではないし、人からさせられるものではない。

自分が自分のためにする時、それが初めて勉強と言えるのだと私は思う。

 

それに、試験で良い点を取るだけが勉強ではないし、習い事の中にも勉強できる要素はいくらだってある。

逆に試験の勉強しかできないようなやつは、ろくに仕事もできないし、コミュニケーションもできないから使い物にならない。

 

・・・そう、私のこと。

それに気づいた時、愕然として死にたくなったよ。

自分がいろんなことを犠牲にして時間を費やしてきたことは、自分のためになってなかったんだな、って。

 

つづく