【毒親4コマ漫画】テトロドかあさん #26 チクリ魔の心理

テトロドかあさん タイトル画像

じゃばみ(@jabamichan)です。

4コマ漫画「テトロドかあさん」は、アダルトチルドレンだと自覚するじゃばみが、アダルトチルドレンを克服するために描いているノンフィクション漫画です。

まずは、今日の4コマ漫画をどうぞ。

アダルトチルドレン  4コマ漫画


 

【サオリちゃんとの思い出】

 

クラスに1人はいる、率先して学級委員に立候補して、クラスの規律を乱す行為を嫌い、先生に告げ口するイヤな人。

はい、それ私でしたw

 

今回の漫画に描いたのは、その中でも目の敵にしていた(当時は無意識だったんだよね〜・・・)友達とのお話。

うちは1学年1クラスしかない田舎。

漫画に出てくるサオリちゃん(仮名ですよ)とは保育園から一緒で。

身長も体重も似たような感じで、列に並べば必ず前後になる。

 

サオリちゃんは昔から自由な子で。

動物が大好きで、家には猫を飼っていて。

食べることも大好き。

絵を描くことも大好き。

歌も大好き。

 

猫を飼っていること以外は私と似ていたのかもしれません。

絵も歌も決してうまくはなかった(・・・失礼)んだけど、私には彼女の発するそのどれもがしゃくに触った。

列に並んで手でも当たろうものなら、取っ組み合い。

鼻歌の間違いには嫌味ったらしく逐一訂正を入れた。

どこかで勉強の不出来なサオリちゃんをバカにし、見下していた。

それも、無意識に。

なんてイヤなヤツだったんだろうね、私。

 

ありがたいことに、サオリちゃんは今でも地元で会えば笑って話せる関係でいてくれている。

穏やかでマイペースな話ぶりは、いつも私の心を和ませてくれるのだ。

そう、まるで彼女のお母さんみたいに。

 

サオリちゃんのお母さんは、朗らかで優しい人で。

数回くらい家に遊びに行ったことがあるけど、いつも私のことを褒めてくれた。

 

そんな思い出。

 


 

【チクリ魔は承認欲求の裏返し】

 

昨年、母とケンカ別れしてから私の中では過去の総決算が始まった。

『テトロドかあさん』を描きながら、もしくは何を描こうと考えながら、私は過去の自分と向き合っている。

 

こうして客観的に振り返ってみると、自分をチクリ魔にさせた原因もなんとなく理解できるようになった。

もしチクリ魔について悩んでいる人がいたら、私の経験則ではあるけど参考になればと思う。

 

私は習い事として、ピアノもしていたし、絵の教室にも通っていた。

ピアノは中学生になるまで好きになれず、練習をサボっては叱られる苦痛の連続だった。

それでも、合奏なんかでオルガンやアコーディオンなど花形のポジションがもらえることを自慢に思っていた。

絵の方は、よく夏休みの宿題だかで出展すると賞をいただいたりして、全校集会でみんなの前で表彰状をもらうのが何よりも快感だった。

 

そう、音楽も絵も、私の承認欲求を満たすためにはちょうどいいツールだったのだ。

同時に、それは両親のプライドに甘美なご褒美を与えるツールでもあった。

 

でも、サオリちゃんにとっての歌や絵にはそんなことどうでもよかった。

彼女はやりたい時にやりたいことをやる、ただそれだけだった。

人の評価なんかちっとも気にしない。

 

私にはそのあり様がうらやましくて仕方なかったんだと思う。

でも当時はそんな自己分析できるわけないし、その気持ちは無意識にいらだちとなって行動に出た。

 

それが「チクり」だ。

 

自分は規律を守って生活しているのに、守らない人が許されていいわけない。

 

一見、正しいことを言っているけど、実際は

 

自分には自由が許されないのに、他の人が自由を許されていいわけない。

 

・・・と、歪んだ感情に支配されていた、と思う。

チクリ魔は、承認欲求の裏返しなんじゃないかと。

 

脳科学的には、人は正論で相手を制圧する時、快感を覚えるそうだ。

だから一度チクリ魔になったらきっとそこから抜け出すのは難しい。

 

それに、自分が正しいと思っている人が自分の非を認めるのにはすごくエネルギーがいる。

だから、正論ばかり言う人は気をつけた方がいいし、正論ばかり言う人に出会ったら気をつけた方がいい。

 

 

そうして、チクリ魔は嫌われ者になり、最終的には孤立していく。

ペンと机だけが友達の孤独なヒーローは、自分の顔を相手にあげるでもなく、ついにはあげる顔すら失って、うぬぼれにまみれて死んでいくのがオチだ。

 


 

【自分を許せば他人も気にならなくなる】

 

当時の私は間違いなくカゴの中の鳥だった。

「成績優秀であれば怒られない」自分は、成績優秀でない自分を許すことができなくなっていたのだ。

 

それはケンカした時に母が言った「専業主婦のくせに」というニュアンスの言葉に直接繋がる。

 

学生時代からもう20年も経とうというのに、いまだに自分がなにものかでないといけないような強迫観念に襲われることがあるのは、生まれて家を出るまでずっとそのような考え方を植えつけられてきたからだ。

 

「音楽をやるなら売れなければいけない。」

「働くなら正社員でなければいけない。」

「結婚するなら子供を産まなければいけない。」

 

じゃあ、そのどれもが叶わない自分には生きる価値はないのだろうか、と問いたくなる。

母の中で私は社会的劣等生であり、永遠に許されない存在なのだろう。

 

そしてそのことは、母自体が正論を振りかざすチクリ魔である、ということを意味する。

 

つまり、母自体が自由を許されていない存在ということ・・・なの?

 

それは母親っていう立場だから?

お金がないから?

 

それも多少はあると思うけど、一番の原因は「子供に献身的な親である」自分に酔ってることだと思う。

母が献身的であればあるほど私はしんどい。

逆に母の中では私への過度な期待や執着がふくらみ、母自身を無意識に縛りつけていたのでは。

もう献身的である必要はないから、自由になればいい。

 

母は母・・・というよりA子(母の名前ね)以外のなんでもないし、何かになる必要もない。

なんだったら「母」という肩書きも忘れちゃっていい。

 

そしたら初めて人間同士の会話ができるかしら?

知らんけど。

 

それはともかくとして、他人への期待や執着を捨てたら、驚くほど生活は楽になる。

恥をかいたって死ぬわけじゃないから何も怖くなくなる。

私は私以外の何でもないし、何かになる必要もない。

 

母と距離を置いている間、私は私でいいんだよ、と言い聞かせ続け、最近やっとそう思えるようになってきた。

面白いことに、自分を許すと他者を受容する気持ちが生まれた。

他人の作品を見聞きして、素直に他人の良さを受け止めることができるようになった。

それは自分にとっては革命だった。

他人より劣っている自分を受け入れることが何よりも怖かったのだから。

 

けど、世界は思っていたよりもはるかにたくさんの素晴らしい人たちであふれていることがわかった。

世界が前よりも好きになった。

 

 

あとは母を許せるかどうか、私に残された課題はそれだけだ。

 

つづく。