【毒親コミックエッセイ】テトロドかあさん #29 絶縁してからの1年で私に起きた変化

テトロドかあさん タイトル画像

じゃばみ(@jabamichan)です。

コミックエッセイ「テトロドかあさん」は、アダルトチルドレンだと自覚するじゃばみが、アダルトチルドレンを克服するために描いているノンフィクション漫画です。

まずは、今日の4コマ漫画をどうぞ。テトロドかあさん 毒親 4コマ漫画


 

【絶縁してからの1年を振り返る】

 

久しぶりの投稿となったのは、私が薄々この問題に取り組むことに飽きてきてしまったためだ。

 

実際に私はこの1年、「飽きる」くらいこの問題についてたくさん考えてきた。

親について、自分の存在意義について、こんなに考えたことは今までになかった。

大学4年の就職活動の時期にこれくらいの自己分析ができていたら、もう少しまともな就職ができていただろう。

母から知らないうちにかけられていたご都合フィルターで自分のことも社会のことも考えていたと思うから。

だから、同じ時期に客観的に自分を見つめ、企業を見つめ、自分の道を切り開いていった同級生たちのことを思うと心から尊敬する。

自分はなんて幼稚だったんだろう、という不甲斐なさを噛み締めながら。

 

さて、もう2020年も7月半ばまで過ぎてしまった。

昨年の5月に実家を飛び出してからもう1年以上が過ぎたのだ。

母と最後に言葉を交わしてからそれだけの月日が経ったとも言える。

 

最初の数ヶ月は、この「テトロドかあさん」でも書いている通り、すごくつらい日々だった。

日常のあらゆる場面で、けんかした日の母の顔や言葉がフラッシュバックして私を責め立てるのだ。

そのたびに心がぐらぐらと揺れ、時には声を出して泣くようなこともあった。

 

もし私が1人でいたら、とてもじゃないけど正気ではいられなかったと思う。

私が嗚咽するたび、相方は「大丈夫だよ」と言って私を励ましてくれた。

のろけ話になって申し訳ないが、相方は私のことをいつも「宝物だ」と言ってくれる。

私はその言葉にどれほど助けられているか。

「宝物」は大事にされなければいけないものだ。

だから、私は以前よりずっと自分を大事にできるようになった。

 

それは自分を甘やかすこととは違う。

何か心に不具合が起きた時は、不具合の原因は一体何かを冷静に考えるようになった。

そして、自分にどうしようもできないことをいつまでもくよくよ考えることを極力やめるようにした。

また、母との仲をどうしようとか、自分をどう思ってもらいたいとか、そういう他人に期待することもやめた。

 

そのようにして、最初は大しけのように波立っていた私の心は、時とともに穏やかになっていった。

それと同時に、母のことを考えることもだんだんなくなっていった。

それは単純に時間が過ぎたから記憶が薄れたわけではなく、自分の生活のクオリティを高めるために努力した結果だ。

この1年でたくさんの本を読んだおかげで、心地よく生きる術を自分なりに身につけられたと思う。

 

それで思ったことは、私は幸せになってしかるべき存在だし、現実に幸せだということだ。

だから、私は今毎日幸せに感謝しながら生きている。

 

 

そんな風に幸せを素直に喜ぶことの何が悪いんだろう?

母はそこにいちいち釘を刺すようなことをまるで助言のように言っていたから。

母親は心配をする生き物なのかもしれない。

でも心配し続けることは「あなたは何をやってもダメな人間なのよ」と言っているのと同じだ。

 

この1年、その呪いにも似た言葉を聞かずに済んだ私は、思ったよりもダメな人間じゃないかもって思い始めている。

今までいろんな場面で人の顔をうかがったり、判断を他人に委ねたりしていたのだが、そういうのも意識的にやめられるようになった。

相方が「宝物」だと言ってくれている私の判断は、きっと正しい。

 

「宝物」は「宝物」にふさわしい生き方をするのだ。

 


 

【1年ぶりに父と連絡をとった】

 

そんな感じで私は、なんとか自分の人生を自分のものにしつつある。

そもそもあんなケンカなんかしなければ、自分の考え方をここまで変えることもなかっただろうし、人間的に成長することもなかっただろう。

そういう意味では、絶縁してよかったと心から思っている。

そうでなければ、他人の芝生を羨み、自分の人生を生きぬまま「生まれてこなければ・・・」なんて思いながら死んでいく運命だったかもしれない。(それは母が私に見せてきた姿そのものである。)

 

ようやく心の落ち着きを取り戻した頃、実家から突然荷物が届いた。

半年ぶりに送られてきた荷物だったけど、今度は動悸もしなかった。

中には野菜やお米が入っていた。

 

平常時ならまだしも未曾有のコロナ禍だ、いつにも増して心配しているだろう・・・と思った。

荷物の送り状を見ると、宛先に相方の名前、送り主に父の名が書いてあった。

母の字で。

自分の名前は書きたくない、書けないということだろうか。

そういうことなら、と父に電話をかけた。

 

1年ぶりの電話だ。

内心すごく緊張したが、「私は母とは違う。まっとうな大人として生きていくためだ」と自分の礼儀を尽くそうと心を決めた。

 

父は急な電話に驚いていたが、その声色は喜びで上ずっているようだった。

荷物のお礼と、昨年に破った障子のことを謝った。

ほんの5分ほどの電話だったと思うが、心を暗くしていたよどみが少し晴れたような気がした。

 

電話を切って、緊張しきっていた肩の力をふうっと抜くと、ぽろぽろと涙がこぼれた。

相方が

「偉かったね」

と言って頭を撫でてくれた。

 

 

そう、本当は私だって普通の親子のように普通の会話がしたいだけなのだと改めて思った。

でもそう願って傷ついてきたことも事実。

そして、また傷つくのが怖い。

 

自分を大切に生きることは、決して親不孝ではないはずだ。

 

もし過去に自分を傷つけた人がいて、そんな人とまたコンタクトをとるようなことがあれば人は愚行だと言うだろう。

それが親か他人かというだけだ。

 

私は私のために生きる。

それがこの1年でわかった唯一最善の生き方だし、親孝行な生き方だと断言する。

つまり、自分を守るためなら親子の関係も考えるべきだということだ。

 

お互い気をつかいあって疲弊していくよりもずっと健康的で建設的だ。

もうこんな状況になったらたとえ親子でも気をつかわざるをえないだろう。

現実に、父とはその後2回ほど電話をしたが、会話の端々にどちらともなくぎこちなさが出てしまっていた。

 

そのぎこちなさに居心地の悪さを感じて、用件が終わったら電話をすぐに終えてしまった。

以前のように自然に会話ができなくなってしまったのだ。

1年という月日は、親子の会話をこんなに難しくするんだなとも感じた。

 

つづく