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【毒親エッセイ・テトロドかあさん】被害妄想を乗り越えた私に訪れた変化

テトロドかあさん タイトル画像

【過去のふり返りを通して私に訪れた変化】

は、親と絶縁状態になってから、親が「毒親」であるという認識を強くし、学ぶためにいろんな本やブログを読みあさり、自分を取り戻す目的で過去のふり返りをしています。

そして、感じたことなどをブログに書くことで気持ちを整理し、自分の今後の人生に活かそうと思っています。

以前は4コマ漫画を描いたりもして、思い出した出来事をイラストにしたりもしていたし、このブログも何度も読み返し、何度も書き直しています。

そんな作業の中で、ついに私に革命が起こりました。

先日夫が、夫のお母さんと弟さんと食事をするために1人で出かけて行くことがありました。

年に数回ですが、夫はそのようにして家族の時間を持つことをルーティンとしています。

夫のお母さんは「姑はしない」と言っているので、私もあえてそこに割込まず、適切な距離を保つことにしているので、接点はありません。

そういう関係なので、嫁・姑問題がないのはありがたいことではあります。

しかしながら、今までは夫が1人で出かけていくのを不満に思っていました。

「私も家族なのに」

「1人にしてほしくない」

と思っていたのです。

ところが、先日は全くそう思わなかったのです。

それどころか、

「ゆっくり楽しんでおいでね」

と言う余裕すらあり、それも心から出た言葉でした。

普通の人にとってはそんなに驚くことではないかもしれないですが、私は今までお付き合いした人にも同じように

「1人にしてほしくない」

「ずっと一緒にいたい」

という感じで、いわゆる重たい女でした。

だから、夫を送り出した後で、自分に起きた心の変化に自分でびっくりしていました。

私、初めてそんな風に思えた!って。

少しずつ、自分の心の中の問題が解消してきているような気がします。


【毒親思想はエスカレートすると被害妄想になる】

との関係性について悩む時、人に相談したい時はありますよね。

でも、たいていかえってくるのは

「それでも親はありがたいんだよ」

「感謝できないなんて親不孝だよ」

というような反応ばかり。

夫ですら、最初の頃は被害妄想なんじゃないかと言っていました。

私自身、ブログを書いてる途中、気づいたら文章がどんどんエスカレートして親を悪者に仕立てあげようとしていました。

文章の中で悲劇のヒロインを演じようとしていたんですね。

でも、ヒロインは演じているだけで、実際は支配者になっていました。

文章の中では、親のことはいくらでも悪く書けるし、私はいくらでもかわいそうな娘になれるから。

そうして自分を慰めているような感覚もありました。

でも、それでは親が自分の行動を正当化するために「あなたのためを思って」「こっちもつらかった」などと感情に訴える行為と同じ。

それは、私が表現したいことではないし、なりたい自分ではない。

それに気づくことができました。

そこにいたるまでには、かなりの時間がかかりました。

何度も何度も文章を読み直したり、書き直したりしました。

毒親問題に関する本や、自己啓発のための本を何度も読み直しました。

でも一番助けになったのは夫の存在です。

夫自身が、毒親問題について理解をしようとしてくれて、時々思うことを討論することで、客観的で中立的な考えは何かを知ることができました。

書いた文章を夫に音読して聞いてもらい、大げさな表現や、被害妄想的な文章があった時には注意してもらったりもしました。

そのおかげで、自分のことを両親の思惑や感情と切り離して、より客観的に考えることができるようになったと思います。


【被害妄想をやめるには客観性を持つこと】

「私の親はこんなにひどい親だった!」

「こんなことを言われ、こんなことをされて、私はすごく傷ついた!」

そういう文章を書いている時の自分は、すごく怒っていて、すごく悲しくて、すごくつらかった。

で、改めて読み返した時にふと「自分の親はこんなにひどい親だったのだろうか?」と思う瞬間があったんですね。

被害妄想というのは、被害を受けたことに加えて、相手を批判することに共感してほしい、みたいなエゴが含まれると思うんですが、それって結局「あなたの親は最低な親だったんだね」って人に言って欲しいのと同じこと。

でも、それは「最低な親から生まれたあなたも最低なんだね」ってことを言われるようなもので、それをしているうちは絶対に心は満たされないだろうってことに気づきました。

だから、被害妄想を抜け出した瞬間に、心がすごく楽になったんです。

その時初めて私は1人の大人として、両親という2人の人間を上下ではなく、横から眺めることができました。

それこそが、「親は変わらないけど自分は変われる」ということなんだと実感しました。

同じように毒親問題に悩む人の、ネットでの書き込みを見てみると

「こんな風に育てられた」

「こんなこと言われた」

というように「親が悪い」と言ってもらいたがっている言葉がたくさん並んでいます。

そういう風に他者に親の非を訴えて共感してもらおうと思っているうちは、まだ自分のことを客観的に考えられていないし、親に思考をしばられているんだと思います。

でも、すぐには気がつけなくても、書いたことで思考が始まり、その結果気づきに繋がることってあると思います。

大事なのは、私の夫のようにどちらをも悪者にせず、客観的に見守ってくれる存在が社会にあること。

そのためには、毒親問題に関する認識と理解がもう少し広がらないといけないのかな、と感じています。

いつかこのブログがお役に立てればいいなと思い、被害妄想たっぷりのブログをちょっとずつ書き直しているところです。