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【毒親エッセイ・テトロドかあさん】 過去をふり返る〜小学生時代〜

テトロドかあさん タイトル画像

【子供は遊びの中でコミュニケーションを覚える】

が小学生の時、小学校まで約2キロの道のりを歩いて登下校していました。

そして、そのちょうど中間地点に、母の経営する塾がありました。

私は家に帰宅する前にその塾に寄らなければならず、その日のノルマを終わらせるまでは遊びに行くことができませんでした。

同級生の女友達からは次第に遊びに誘われなくなり、クラスで寂しい思いをしたことは何度もあります。

1学年1クラスしかない田舎、近所の友達も限られている中で

「勉強ばっかりやからもう誘わない」

と言われたことは、すごくつらかったですね。

塾に行くのを苦痛に感じて塾を通り過ぎ、近くにあった知人でもない商店に泣きついたこともあります。

それくらい、私にとっては塾の存在がつらかった。

塾に行かなければ怒られるし、塾に行けば友達と遊ぶ時間はなくなる。

私は常にそんなジレンマの真ん中にいました。

友達とのコミュニケーションもだんだん難しいと感じるようになり、学校では保健室によく行くようになりました。

空いた日には、同級生と遊べないから下級生とばかり遊んでいました。

また、群れを作りたがる女子と一緒にいることよりも、単発で遊べる男子と一緒にいることのほうが気が楽で、男子と遊ぶこともありました。

休みの日、遊ぶ相手が見つからない時は、1人で海に行ってお気に入りのテトラポットの隙間にもぐりこみ、海を眺めるのが好きでした。

気まぐれに、ばあちゃんの甘夏もぎを手伝ったりもしました。

そんな感じで、私は孤独と一緒に小学生時代を過ごしていました。

話は変わりますが、先日、兄家族がうちに遊びに来てくれたので、姪っ子を連れて近所の公園に遊びに行ったんです。

知らない子に混じって遊ぶ姪っ子を観察していると、遊びの中でたくさんのコミュニケーションをしていることに気づきました。

遊具で遊ぶ順番をどうやって決めたらケンカにならないか。

知らない子と打ち解けるにはどうしたらいいか。

いたずらをする子にはどう注意したら空気を悪くせずに済むか。

それを子供たちは遊びの中で自然に学ぶんですね。

私も全くそんな機会がなかったかと言われるとそんなことはないけど、勉強のおかげでコミュニケーション能力を養う機会はかなり奪われたと思っています。

むしろ、

「友達なんかいらない、友達よりも勉強が大事」

というのがうちの教えだったので、そんな人間から社会性が失われるのは当然のことでしょう。

座学ができても、コミュニケーションができなければ社会では生きていけません。

私からコミュニケーション能力を養う機会を奪い、私を社会でろくに生きることのできない人間にしたのは親のせいだと言っても過言ではないと思っています。

社会人になったら、社会にいる時間が必然的に長いわけで、そこがうまくいかないから「生きづらい」と感じるんです。

特に対人関係におけるストレスをどう対処していいかわからない。

他人との適正な距離感もわからない。

今はもう大人だし、それに気づいた時点からは自分の責任だとは思っていますが、私をそのような人間にした母のことが正直、憎いです。


【ヒステリックな母に育てられた私は社会不適応者になった】

れでも、やっぱり母に甘えたい時はあって、小学3年生くらいだったか、母に抱きついたことがあるんですけど

「猫みたいにすり寄って来ないで」

って言われたことは今でも覚えています。

母は私にとって、守ってくれたり、甘えさせてくれる存在ではありませんでした。

それどころか、気分でかんしゃくを起こし、場所を問わず大声で怒鳴りつけ、そのたびに私はショックを受けると同時に、周囲からの目に恥ずかしい思いをしました。

目を白黒させ、体を震わせて叫ぶそのヒステリックな姿はすごく醜くて大嫌いでした。

そして、母は怒ると必ず

「もうあんたには◯◯してあげないから!」

と、私から何かを取り上げるような言い方をしました。

私はいつもなぜそんなに言われなければいけないのかわからないまま、ただ謝ることしかできませんでした。

今思えば、そうやってヒステリーを起こすことで、母は自分の支配欲を満たしていたのではないかと思います。

しかし、そんな母の支配欲を満たすのと引きかえに、私は人の顔色を常にうかがうようになりました。

そして、他人に対して怒りを表現することができなくなりました。

それが一番影響したと思ったのは、大人になって働くようになってからです。

今まで散々いろんなバイトをしてきましたが、理不尽な要求をしてくる人、特に上司にそんな人がいるともう無理で。

受け流せない。

怒りを感じても、表現することにとまどってしまう。

まともに受け止めてしまって、ストレスを抱えてしまうんです。

思い返してみれば、人間関係と仕事が両方破綻してしまうことがほとんどでした。

こうして自分を分析することをしてみると、なるべくしてなった未来なんだな、という感じがします。

先のトピックスでお話したように、私はコミュニケーション能力が圧倒的に低いし、人間関係がしんどい。

今は仕事もしてませんし、完全な社会不適応者です。


【私には愛された実感がない】

分、上のような話を伝えても理解はできないだろうなと思います。

一生懸命尽くしてきたのに、って思ってると思います。

生活が苦しい中でもたくさんの習い事をさせてくれたし、時々クラシックのコンサートだとか、美術館とか、いかにもインテリな芸術ではあったけど、そういう機会は与えてもらったから。

だから、そういう部分はすごく感謝しています。

感謝はしているんだけど、、、

私には親に愛されたという実感がないんです。

そして、もう1つ思うことは、私が思い通りに塾にやって来て勉強してなかったら、果たして愛してくれただろうか?ということ。

そんなこと怖くてできなかったから、わからないけど・・・そう、私は親が怖かったんです、きっと。

親の言うことをきかないと捨てられる、そういう恐怖心だったのかな。

捨てられないために、私は自分を押し殺して、親の大好きな私を演じるしかなかった。

つまり、親が愛しているのは、親の理想の私であって、本当の私ではないってこと。

そう考えれば、私自身が愛されてる実感が持てないというのも合点がいく気がします。

そんな私が、最近ようやく愛されるという実感を持つことができるようになったのは、夫のおかげです。(毎回言うてる気がするけど)

夫が私に毎日言ってくれる言葉があります。

「僕の宝物だよ」

って。

なんて素敵な言葉なんだろうと思います。

それは、紛れもない私そのものに向けられた言葉だからすごくあったかくて、安心できて、私に響くんだと思います。

こんなポンコツで、できそこないの私でも宝物なんだ!って。

私はその言葉を聞くたびに、自尊心が満たされる気がするし、生まれてきてよかったって感じることができます。

これが「愛される」ってことなんだ、と思いました。

申し訳ないけど、前夫の時には感じたことのなかった感覚です。(彼もまた取り繕うのが得意な人間だったから。)

ありがたく、私にはそう言ってくれる存在があるから、もう親に対してありのままを愛してほしいと思う必要がなくなりました。

というか、ありのままの私を知ったら卒倒してしまうんじゃないかしら、と心配になる。

それくらい、都合のいい私しか見ないようにしていたと思います。

親は精一杯の愛情を注いでるつもりでも、こんなに行き違うこともあるんですね。

それは、愛情を通り越して「虐待」になっていたからだと思うんですが、それについてはまた別の記事で書きたいと思います。