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【毒親エッセイ・テトロドかあさん】過去をふり返る〜中学時代〜

テトロドかあさん タイトル画像

【劣等感と自己嫌悪】

学生になると中間試験や期末試験の後、合計点数の順位が個別に配られるようになりました。

1位でなかった時、兄がグチグチと母に説教をされるのを見ていた私は、当然そうならないように1位を目指しました。

最初は私も1位になって誇らしい気持ちになったものですが、だんだんと成績が出なくなり、劣等感と焦燥感にかられるようになりました。

自分よりいい成績をとった友達を憎いとすら感じることもありました。

その頃には、いい成績を取ることがまるで私のアイデンティティのようになっていたのだと思います。

頑張っても結果が出ない自分に、だんだんと自信を失っていきました。

同時に、クラスではいじめが起きていました。

私はいじめる側といじめられる側を行ったり来たりしていました。

小学生の時は、クラスの悪い人を注意するほど正義感を持っていたはずの私が、中学生になったら自分が傷つかなくて済むポジションを探してさまようような人間になっていたのです。

いじめ側につけば友達のノートを破るようなこともしたし、いじめられる側につけば相手の悪口を吹聴したり。

私は一番卑劣で、最低でした。

そのことがさらに私の自己嫌悪を強くしました。

その後、いじめは半年ほどでおさまりましたが、自分の心に暗い影を落とすことになりました。


また、体の変化も自分には気持ちが悪かった。

生理が始まったこともそうだし、ブラジャーも窮屈で、体毛が生えてきたのも気持ち悪くて、そんな自分を受け入れることがなかなかできませんでした。

そんなモヤモヤした気持ちを救ってくれたのは母ではなく、友達でした。

交換日記では、かわいいイラストを描いたり雑誌の切り抜きを貼り付けたりして、女の子でいること、おしゃれを楽しむことを教えてくれたような気がします。

私もその子のマネをして、同じ雑誌を買いました。

当時は「読者モデル」がすごく流行ってる時代で、イキイキと楽しそうに映る読モの姿を見て、私もおしゃれをしたいと思いました。

ところが、母から言われたのは

「勉強にはお金出してあげるけど、それ以外は買わない」

ということでした。

そのくせ、デパートで買ってきた流行でもなんでもない服を

「高かったのよ」

とか言いながら私に与えるのです。

当時、私は篠原ともえさんに憧れていたので、前髪を自分でパッツンに切りました。

それが、私にできたせめてもの自己表現でした。

その時代はプリクラが流行していて、休日に友達に誘われて市街に遊びに行くことがありましたが、友達はみんなおしゃれな服を着ているのに自分は・・・と、そこでも劣等感を感じていました。

そういうことが重なって、私はだんだんと内向的な性格に傾いていったと思います。


【母に対する不信感】

学2年の秋、「作曲をしてみよう」という音楽の授業をきっかけに、自分で詞を書いて曲をつけることが私の趣味になりました。

自由帳をいつでも持ち歩いて、思いついた時に歌詞を書き、メロディを口ずさんでみると、まるで自分がヒットメーカーにでもなったような高揚感と、この世にないものを作り出している優越感を感じました。

家にあったクラシックギターでコードを覚え、弾き語りをする楽しさもこの頃に覚えました。

しかしながら、兄が京都の高校に進学して家を出てしまってからは、私は母の視線をまともに受けることになり、この頃には母と衝突ばかりするようになっていました。

「そんなことやめて勉強しなさい」

「子供のくせに」

というのが母の口癖でした。

それも理屈ではなく感情をぶつけられるから全く納得できない。

反発すれば「反抗期」という言葉で都合よく片付けられ、私の話は聞こうともしない。

何を言われたか覚えてはいないけど、人格をぐちゃぐちゃに否定されたということだけはハッキリと言えます。

けんかをすると、父が必ず仲裁に入りました。

母は

「父さんはいつも( 私 )の味方をする!」

と父にまで感情をぶつけました。

最終的には、私が吐き出しきれない思いを飲み込むしかなく、部屋に閉じこもって歯を食いしばるように泣くことが何度もありました。

どうして私の好きなものや楽しいものを奪うんだろう。

なんで私は生まれてきたんだろう。

理解されないことは、母への不信感に変わりました。


【私は母のために生まれたわけじゃない】

学時代を思い出そうとすると、今でも少し息苦しくなるような感じがします。

2019年には、そんな母校で歌う機会をいただきました。

いろんな迷いや不安を抱えて卒業したけど、今でも全然大人になれてないと思うし、まだまだ凱旋と呼ぶには何もできてない。

それでも、ふるさとは私を認めてくれ、応援してくれた。

それが嬉しくて、ありがたかった。

しかしながら、母から絶縁するきっかけとなった言葉をもらったのは、その半年後のことでした。

「音楽なんかせんほうがええよ」

世界中どこを探しても、私をそんな風にコケにするのは母だけです。

そんな人は、私のふるさとじゃなくていい、今はそう思います。

私には私を認め、大切に思ってくれる人がいる。

だから、これからはその人たちのために、歌えばいい。

自分を大切に思ってくれる人に、自分の大切な時間を使えばいい。

私は母のために生まれてきたわけじゃないから。


この記事を書く数日前に、たまたまピアノの弾き語りを練習していて、アンジェラ・アキさんの名曲『手紙〜拝啓十五の君へ』を何気なく歌ってみたんですよ。

20代の時はよくカラオケで歌ったりしてて、その時はあまりわからなかったんですけど、今改めて歌ってみると、歌詞が刺さる刺さる。

歌いながらボロボロと涙がこぼれてしまいました。

アンジェラ・アキさんも、胸がばらばらに割れるようなことがあったのかな、と思いました。

あ〜書きながらまた泣いちゃう。。。

「自分の声を信じ歩けばいいの」

って、本当それが一番大切だと思います。

でも、15の私にはそれができなかった。

だから、これからはそうやって生きていきます。

15の私が死なないでいてくれて、音楽を諦めないでいてくれたから、今があるんだからね。

よく頑張ったよね。えらかったね。

あの頃の自分に言ってあげたいな。