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【毒親エッセイ・テトロドかあさん】私自身もまた飼い犬の毒親だった

テトロドかあさん タイトル画像

【思いつきで子犬をもらった】

学の入学式の数日前。

入学にあたっての保護者説明会かなんだかの日の朝でした。

何気なくのぞいた市報に「子犬ゆずります」という記事が載っていました。

「子犬ゆずりますだって」

「見に行ってみようか」

犬を飼いたいなんて話したこともなかったのに、なぜかこの日は私も母もノリノリで、記事を見た勢いそのままに子犬を見に行きました。

子犬はキャラメル色とこげ茶色の2匹。

ビーグルの雑種で、耳がたれていてとてもかわいい。

私たちの他にもう1組いて、あれよあれよと言う間に「どちらを選ぶか」という話にまでなっていました。

引くに引けない状況になっていたのかもしれない。

ジャンケンで勝った私は、こげ茶の子犬を選んだ。

それがプーとの出会いでした。

まだヨチヨチ歩きのプーを車にのせて、中学校に向かったのを覚えています。

車の中で「名前はプーちゃんがいい」と言った矢先、プーが車でおならをしたんです。

「レモンちゃんがいいんじゃない」とか言っていた母でしたが、反論の余地はありませんでした。


職場の電話でその話を聞いた父はびっくりしていました。

当たり前ですよね、犬を飼いたいなんて一度も話したことなかったのに、ある日突然子犬を連れて帰ったんだから。

(母には何か犬を飼うきっかけがあったのかもしれません、私には知る由もありませんが。)

急遽、玄関にバリケードを作って、犬小屋を買うまでの一時しのぎにしました。

「犬は家畜だ」という認識だった父は、プーを部屋にあげさせてはくれませんでした。

そんな感じで、我が家に突如として家族が増えることになりました。


【ネグレクトな飼い主たち】

初は珍しくて、かわいくて、夢中になってお世話をしたものの、早起きが苦手だった私は学校のために起きるのに精一杯で、朝の散歩は全く続きませんでした。

母がプーのお世話をすることはなく、朝の散歩はほどなくしてばあちゃんの仕事になりました。

中学で入った卓球部は、顧問の先生が熱心で休みがほとんどなく、また、中学から通い始めた英語の塾は萩市で一番厳しいと有名の塾で、学校の宿題と部活と塾の宿題で手いっぱいでした。

結局、朝も夕方も、ばあちゃんと、小さい頃から親しくしていた近所のお兄ちゃんがそれぞれ空いている時間に散歩をしたりエサをやったりしてお世話をするようになりました。

私は気まぐれに散歩に行ったり、頭をなでたりするだけ。

それでも「散歩に行こうか?」と声をかけるだけで、しっぽがちぎれるんじゃないかと思うほどバタバタとしっぽを振って喜んでくれた。

そんなかわいいプーに私はひどいことをしたと今でも後悔する。

プーが言うことを聞かない時、父がプーに手を上げるのを見て、私もプーをひっぱたいたのです。

自分が不自由であるいらだちを、プーにぶつけてしまっていたのだと思います。

今から思えば、母が私にしていることと同じですね。

自分より弱い立場のものをいたぶりつけて自分のストレスを発散していたんだから。


近所の人はプーが喜ぶのがかわいくて、いつからか甘いチョコレートやお菓子をあげるようになりました。

誰も犬の飼い方を知らなかったし、誰もそれを制止しませんでした。

避妊手術の後、プーは激太りしました。

もっと気にかけてあげるべきだったのに、、、

それでも日々押し寄せてくる勉強を優先してしまいました。

私も、父も、母も。

私が中学を卒業する頃、プーは食べ物を食べなくなり、ぐったりと過ごすことが多くなりました。

父が動物病院に連れて行くと

「糖尿による尿毒症です」と言われたそうです。

水も与えないでください、と。

それでどうやって生きられるんだと思いました。

とても納得できなかった。

他の病院に行っていれば何とかなったかもしれない、、でも私にはそんな考えも起きませんでした。

というのも、「仕方ない」と思うように言い聞かせられたような気がするからです。

だから私はまるで人ごとのように毎日机に向かっていました。


【プーはわずか3才で死んだ】

から思えば、はっきり言ってベストを尽くさなかったのです。

でもそれがうちの限界だった。

兄は高校から私学の進学校で寮生活をしていたし、父も母も兄の学費と生活費のために朝から晩まで働いていたから。

犬のために透析なんかさせてやれない、それがうちの答えだったってこと。

いよいよ容体が悪くなった日の夜、父が病院にプーを連れて行き、その夜は病院で預かるということになりました。

翌日、学校が終わったらプーを迎えに行こうと思いながら高校へ行きました。

しかし、学校から帰った時にはもうプーは土の中でした。

私が高校1年の5月のこと。

たったの3才でした。

最後の夜、ケージに入れられたプーに父が

「また明日来るからね」

と声をかけると、プーはぐったりしていた体を起こして父の方にまっすぐ座ったそうです。

プーにはきっと寂しい思いばかりさせていたのに、プーは最後の力をふりしぼって父に別れの挨拶をしてくれたんですね。

家族だったんだよね。

本当にごめんなさい。

ごめんね・・・・・・


【私もプーの毒親だった】

やんでも悔やみきれないのは、私たちがプーを殺したようなものだからです。

プーの命を大事にすることよりも大切な勉強があったでしょうか。

家族の命を軽んじるような人が、勉強したところで一体何になれるんでしょうか。

それに気づくべきだったと思います。

父も母も私も、それに何の疑問も抱かなかった。

プーの命よりも、勉強を優先することが普通だと思っていた。

学歴主義にとらわれて、大事なことを見失ってしまっていたのです。

はっきり言って異常、ですよね。

そのことを自覚しなければいけないと思います。

私自身、プーにとって完全な毒親でした。

どんなに謝っても、許されるものではないとわかっています。

だから、私は一生この痛みを忘れないで生きていきます。