【母からの荷物がストレス】
私の母は、私が大学に入ってから私が絶縁するまで、ずっと荷物を送り続けてきました。
もちろんお金のない時代には助かることもあったけど、今振り返ってみるとずいぶんと荷物に翻弄されてきたなと思うのです。
消費し切れない野菜は、腐らせないようにするのに余計な出費をすることもあったし、腐らせて捨てた時には、食べ物を粗末にしてしまったこと以上に母への罪悪感が私を襲ってくる。
その荷物を受け取るためにわざわざ家にいて時間を拘束され、荷物を開けたら野菜の処理に拘束され、お礼の電話に拘束され、冷蔵庫パンパンの野菜に日々の食事を拘束され・・・
やっとなくなったと思ったら
「また荷物送るよ」
と電話がかかってきたりして。
断ると必ず不機嫌になり、
「もうあんたには何も送ってあげないから」
と逆ギレをされたこともしばしば。
そのたびに私は心を病み、結局は自分が折れることになって、そのわだかまりはずっと私の中に蓄積していました。
絶縁してからも荷物を送ってきて、断りのLINEを入れたにもかかわらず送ってきた時には、動悸がして、泣きじゃくって、もう本当に気が狂いそうになって、やっとの思いで、もっと強い言葉で再度断りのLINEを入れたんですが
「産んだことも忘れます」
という暴言が返ってきました。
以来、コロナ禍で緊急事態宣言になるまで荷物は送られてきませんでしたが、その間、私はちっとも困らなかったし、むしろ平穏に過ごせて快適だったのです。
今まで当然のように送られてきた荷物がなくなってみて、改めて自分にはあの荷物が必要じゃなかったこと、そして自分があの荷物にさえ縛られていたんだってことに気がつきました。
【無償の愛に見せかけた承認欲求】
昔から、子供への荷物は、親の無償の愛を体現するものととらえられてきたし、映画や歌の歌詞にさえも、そういった表現がよく使われています。
でも、その実態は子供が家を出て行っても親として必要とされたい、感謝されたいという、親の承認欲求なのではないでしょうか。
親が自分の心の不安を和らげてもらうべく子供に依存している状態を「無償の愛」でカモフラージュしてるんだと私は思います。
特に、荷物の頻度が多ければ多いほど、依存度は高いと思います。
今だからそんな風に思うのですが、そのことに気づかずに、私はずっと「ありがたいことなんだから感謝しなきゃ」と思ってきました。
だから、母を悲しませたくなくて、必要ない荷物を受け取り続けてしまった。
それが母を甘やかしていたし、自分も荷物を受け取ることで「良い娘」だと思い込もうとしていた部分もあったのではないかと思います。
双方が健全な状態でのやりとりなら美しい親子愛になると思いますが、私自身は自分を抑圧した状態だったし、母自身は自分の承認欲求を満たすために私に寄りかかった状態だった。
そんな関係は、いつ破綻したっておかしくないですよね。
親子間では知らず知らずにそんないびつな関係になっていたのですが、それは子供の夫婦間にも影響を及ぼす恐れもあります。
というのも、夫にうちの母から送られてくる荷物をどのように思っていたか聞いてみたんですが、
「まるでパートナーの稼ぎが少ないから支援してやってるんだと言われてるみたいに感じる人もいるんじゃないか?」
という返事がかえってきたからです。
確かに、内政干渉に感じてしまったり、失礼だと感じてしまったりする人もいるだろうなと思います。
だって、「送った野菜はそのへんのと違うから」って言われれば言われるほど、普段自分が選んで買ってきて食べてるものは相対的にけなされてるわけだし。
うちは実母からの荷物だけど、それがお姑さんからだったら嫁としては我慢ならない時があるかもしれません。
大げさかもしれませんが、親からの荷物が子供の幸せをぶっ壊すことも可能性としてはなくはないと思うのです。
・・・そう考えると、自分も所帯を持ったんだから、親が悲しもうが逆ギレしようが、自分の家庭を守るのが最優先事項であり、自分の役割です。
いやなことはいくら親でもいやだという意思を貫くべきだったんです。
それができなかったから自分は未熟だったんだ・・・と、今この文章を書きながら気づきました。(遅い)
私は私の家庭を守るための行動をとればいい、冷静に考えたら当たり前だけど、そのように考えさせないところが親子問題の厄介なとこですね。
【子供を追い詰める荷物は愛ではない】
母の中には「親とはこうあるべきだ」みたいな、頑なな「理想の親」像があって、そのイメージに母自身を無理やり擦り合わせてきたように感じます。
教育ママだったことも、もしかしたらそうなのかもしれない。
「理想の親」像に無理やり合わせようとするから、私の意志や感情は見えないし、自分が間違っているかもしれないということにも気づけない。
じゃあ一体誰のために「理想の親」になろうとしたのか。
そのことを考える時、これまでの母の言動を振り返ってみても私の幸せよりも母自身の承認欲求を満たしたいという気持ちが大きかったのではないかと感じざるをえません。
そんな本音を悟られまいとする必死さを荷物の量でごまかしてるのかな、とも思います。
母は、なにか気に入らないことがあるとすぐに
「あんたにはもう何もしてやらない」
というような言葉を口にしてきました。
今までそうやって私を意のまま操ってきたのです。
そこまで考えて、やっと私は荷物を断ることの罪悪感を打ち消すことができるのです。
子供をそんなにまで追い詰める親の行動を、私は愛だとは思いません。
自分のことを守れるのは、親ではなく自分しかいないということを肝に命じて、これからは生きていこうと思います。