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【毒親エッセイ・テトロドかあさん】絶縁して1年7ヶ月、失敗を繰り返してわかったこと

テトロドかあさん タイトル画像

【絶縁してからこれまでをふり返る】

がこの記事を書いている現在、母と絶縁をしてから1年7ヶ月が経ちました。

今年は昨年よりも客観的に考えるようになれたし、ようやく自分の人生を自分の思う通りに生きていいんだと思えるようになってきました。

もうすぐ2回目の年越しを迎えるということで、これまでのふり返りをしておこうと思います。

親子関係でお悩みの方で、絶縁を考えている人、絶縁してしまって悩んでいる人がこの記事を読むことで、少しでも前向きにとらえられたらなと思います。

さて、私はハタから見るとすごくしょうもない親子ゲンカがきっかけで絶縁するに至りました。

テトロドかあさん タイトル画像【毒親エッセイ・テトロドかあさん】 私が絶縁することになったきっかけ

以前にも書いていますが、絶縁直後は、怒りと悲しみと罪悪感で頭がいっぱいで、何でもない時に涙があふれたりして精神的にかなりつらかったです。

私が間違っているのか、じゃあ私の中に蓄積しているこの苦しみは何なのか、何度も何度も自分を責め、母を責めました。

そんな私を追い詰めるように母からは着信があったり荷物が届いたりしました。

そのたびに動悸がして、呼吸が苦しくなり、泣き崩れてしまう私を、しばしば旦那さんが落ち着けてくれました。

夢の中で泣きながら母をぶん殴り、目が覚めて泣いてしまうようなこともありました。

母から電話が来なくなり、荷物が来る回数が減って、やっと心を落ち着けることができました。

それでも母のことを考えなかった日はありませんでした。

なんとか事態をよくしなければ・・・と、思っていたからです。

でも、そうやって「事態をよくしなければ」と思うこと自体が、さらに自分を苦しめ続けることになるとはこの時は思っていませんでした。

それは私自身の優しさや、親に対する情けのようなものだと思っていましたが、今から思えば私は自分から逃げていました。

ばかみたいな話ですが、絶縁してもまだ、私は仲良し親子になる希望を抱き続けていたのです。

本当は親から逃れたいのに、どこか「世間体」を気にしていたし、自分の中の「いい子の自分」が私の中で解決を急がせていました。


【絶縁を決めたら迷ってはいけない】

縁して半年が経つ頃、兄家族がうちに遊びに来たので姪っ子と甥っ子の写真を撮ってフォトブックにしました。

絶縁と言うものの、家族の集まりに両親を除け者にしたような罪悪感から逃げたかったし、孫の成長を見たいだろうという気持ちがあり、実家にそのフォトブックを送ってしまったんです。

後日、母から頼んでもいない荷物が届いて、私は「しまった」と思いました。

その翌月に誕生日を控えていた私は、きっと母はまた荷物を送ってくるだろうと思い、LINEで「今後荷物は送らないでほしい」と伝えました。

その返事として、以前にも書いたように

「産んだことも忘れます」

というメッセージがきて、やっと私は解放されたような気がしました。

なかなかセンセーショナルな言葉ではありましたが、私の存在を本当に忘れてくれるならどんなにいいだろうと思ったのです。

そうして、私は絶縁して初めての年を越しました。

上の経験から言えるように、母はいつでも荷物を送るチャンスをうかがっているのです。

これまで精神の安定を私に依存してきた母は、私に好きな時に連絡ができなくなって困っているだろうから。

母にとっての私は、愚痴聞き・野菜の送り先・旅行に一緒に行く人・将来自分のお世話をする人・将来実家の片付けをする人であり、それを失った不安は小さくはないでしょう。

母はお金やもので人を自分の好きなように動かすタイプです。

口ごたえすれば「もう野菜は送らない」と言い、旅行先はお金を出してあげるからと母の好き放題の旅行に家族みんなを付き合わせ、「持つべきものは頼れる娘よね」と勝手に老後の世話を押し付け、ものであふれた実家は「あなたと兄嫁とで片付ければいいじゃない」と放置する気満々の人。

野菜を送ってくるのは、自分が「親としてやってやっている」と自分に自信を持ちたいだけ。

母の愛は、子供への愛ではなく自己愛なのです。

そうでなければ、絶縁することもなかったし、こんなに私が息苦しい人生を送る必要はなかったはず。

だから、絶縁すると決めたなら、迷ってはいけないのです。

母につけ入るスキを与えるだけだから。

でも、そうやって思えたのは最近になってからのことで、この時はまだ「親と仲直りできる自分」を模索していました。

そしてまた私は、同じ失敗を繰り返してしまうのです・・・。


【コロナ禍で一度だけ復縁を試みた】

明けから、あれよあれよと新型コロナウイルスが世界で流行し始め、日本でも緊急事態宣言が出されました。

絶縁してちょうど1年になる2020年4月、インターホンが鳴り実家から荷物が届きました。

コロナ禍でお互いの身に何があってもおかしくない。

元気なうちに、後悔のないように・・・

そんな気持ちが私を融和ムードにさせました。

ただ、母とはまだ話したくない。

荷物は父の名前で送られてきたので、父に電話するのが筋だろうと思い、父に連絡することにしました。

突然の電話に父は驚きを隠せない様子でしたが、すごく嬉しそうでした。

その声を聞いて、私も少し嬉しかった。

また前みたいに普通に話せるようになるのかな、そう思っていたし、願っていたと思います。

そうして父とは少しずつ話ができるようになり、送られてくる荷物もありがたく受け取ることができるようになりました。

そんなやりとりを5ヶ月ほどして、「今なら母と話せるかもしれない」と思う自分がいました。

その間にも、毒親に関する本を数冊読み、心の整理ができつつあると自分で感じていたからです。

何を言われても、自分は間違っていないと言える自信があったし、母の言うことを聞き流すこともできると思いました。

父に、電話で母と代わってもらうように伝え、最初に言葉を交わした時、母は「あなたを思って毎日泣いていた」と言いました。

私は、最後に破った障子のことを謝り、母の話をだまって聞き、最後まで問題なく会話をすることができたことに満足感すら覚えました。

私は母の言うことを聞き流せるほど精神的に成長したんだ、と。

いつまでも意地を張っていても仕方がないし、親子関係が悪いよりいいほうがいいに決まってる。

母だって普通の親子関係を望んでるし、これからは私も大人としてちゃんと付き合っていける、そう思いました。

・・・しかし。

その次に電話がかかってきた時、積もる話もあるだろうと電話に付き合うことにしたのですが、、

母が自分の人生を語り出したのですが、自分の人生がうまくいかないのは、ばあちゃんや父さん、親戚のせいだと言わんばかりの口ぶりで、私に愚痴をぶちまけたのです。

1時間ほど喋ったでしょうか、自分勝手な考え方と、何を言っても「でも」「だって」「どうせ」の繰り返しで私は心底疲れてしまいました。

電話を切った後、私はすごくがっかりしていたし、母のことをすごく軽蔑していました。

結果として私は母のことが嫌いだという事実にようやく気づいたのです。


【絶縁失敗を繰り返してわかったこと】

の次に連絡が来たのは、荷物を送りたいというLINEでした。

家にはあらかじめ買っておいた米に加え、実家から送られてきた米がだぶついていて、私は「米はたくさんあるからいらないよ」と返信しました。

すると、母からは

「袋に分けているので送りますね」

と半ば強制的に送るような返信がかえってきました。

その威圧的な言葉に、私は言いようのない不安な感情を抱きました。

1年半前、

「誰の金で生きとると思っちょるん」

と半ば強制的に洗剤を送ろうとしたのと全く同じ態度に、私は動揺してしまい、「もう何もいらない」と返信して、そのままLINEをブロックしました。

その半月後、父から

「野菜はいりませんか」

LINEが入ったので

「今までの親子関係に思うところがあるから荷物を受け取る気になれない」

と伝えました。

それから1ヶ月ちょっとが経って今に至ります。

ラインをブロックしてから自分がパニックになりかけたので、改めて毒親に関する本を読み直したりしたのですが、私はまた自分の気持ちをうやむやにしてしまうところだったと気付きました。

何回同じ失敗をするんだろう、、、

でも、そうやって失敗を繰り返したからようやくわかったことがあります。

それは、母と仲の良い親子関係を構築することは無理だということです。

仲の良い親子関係とは、弱い部分をもたれ合う関係ではなく、お互いに自立した大人として対等な会話ができる関係。

それができないんだということを、失敗を通して私はやっと受け入れることができました。

だから、そんな幻想を抱くことをやめたんです。

すると不思議なことに、連絡を絶っていることに罪悪感を抱かなくなったし、母のことを意識することがなくなりました。

何も知らない人からすると「非常識な娘だ」と思われるかもしれないんですけど、私、もう誰のことも気にしないで、自分の人生を思った通りに生きていいってことがめちゃくちゃ嬉しいんですよ・・・!

だって、それって自分がちゃんと自立できたってことだから。

それは親だって喜ぶべきことじゃないですか。

自分の都合でいつまでも子供を精神的に束縛して自立させない親のほうがよっぽど非常識です。

だから、子供の自立を喜べない親は、自らが毒親だと言っているようなもの。

毒親に関する本に書いてあることが腑に落ちて、穏やかな毎日を手に入れることができました。

来年からはやっと自分の人生として歩んでいけそう。

今、私はそんな希望に満ちています。

絶縁と言っても、そんなに簡単なことではありません。

何度も失敗して、同じことを繰り返してしまう人もきっと少なくないと思います。

親を大切に思うからこそ、失敗するんだと思いますが、でもそれじゃ自分のことは置き去りになったままです。

自分の気持ちや感情をうやむやにしたり、向き合うことから逃げていては、自分の人生を生きることはできません。

自分と向き合うことはしんどいことではありますが、ちゃんと自分を理解できた時、親を嫌いと思う自分や絶縁せざるを得ない自分も受け入れることができると思います。

私の好きな言葉に「初めの一歩は自分への尊敬から」という言葉があります。

これはドイツの哲学者ニーチェの言葉で、『ニーチェの言葉』という本の一番最初に書いてある言葉です。

私がこの本を買ったのは10年前ですが、改めてこの言葉を読んでみると、また違った響きに感じます。

初めの一歩はいつ踏み出しても、何回踏み出してもいいですよね。

ちょうど年の節目なので、気持ちを新たに、自分の人生を生きていこうと思います。