【何を着ればいいのかわからない】
夫婦円満ユーチューバーKŌJIYAの じゃばみ(@jabamichan)です。
私は昔からずっとファッション難民をやってきました。
私は背が低く、どっちかと言うとぽっちゃり体型。
かと言って、ナチュラル系は田舎臭さが全面に出てしまって、ダメ。
かわいい系にしては顔がきつめなので、顔とファッションが合ってない気がする。
大人っぽい服は、自分の中身と乖離しすぎてしまって違和感を感じる。
エスニック系に走ったり、古着を着てみたり、コンサバを目指したり・・・本当いろいろ試したんですけど、どれもしっくりこない。
30代半ば頃からは「何を着たらいいかわからない」という思いはより一層強くなりました。
街を見渡して同世代の人を探してみると、働いてる人ならこなれた感じのオフィスカジュアル、ママだったらナチュラル系といった感じで、街になじんでる。
言ってみれば、私がなれなかった「ザ・30代」の姿だ。
結婚しても子供ができない、仕事も長続きしない、いわば何者でもない私。
世間から取り残されて、漂浪しているのを体現してるかのように、とにかく私は何を身につけても街になじんでない気がするのです。
雑誌やネットの記事を開けば、専業主婦の私にはほど遠いお値段の服がページを飾ってる。
服というよりも、もはや衣装。
それどころか、
「こんな服を着ると痛いオバサン(イタオバ)に見える」
などと、若い頃にはよかったおしゃれを全否定されるような文言も目に付く。
一方で、私の出身である山口県に本社を置くユニクロやGUがありがたいことに世間でもてはやされているので、お値段的にも、着心地的にも無難だし、ふるさと納税のつもりでユニクロばかり買うようになりました。
でも、それもなんかつまらない。
コロナ禍でおしゃれをして出かけることはほとんどなくなったけど、今持ってる服を全部ひっくり返して見てみても、いざ出かけようと思う時に着たい服はほとんどないのです。
「服がない」
って言うのが私の口癖になってるみたいで、よく相方に揶揄(やゆ)されるほど。
【イタオバって誰が言ってるの】
30代を超えてからのミニスカートは痛い。
レースが多めにあしらってある服も痛い。
パステルカラーも痛い。
・・・って痛いってなんだ?
若作りが痛いの?
年相応ってなんだ??
てか、イタオバって誰が言ってんだ???
そんなことを薄々と考えていたある日、関西のローカル番組で大阪の服屋さんが取材されているのを見ました。
ヒョウ柄専門の服屋さん。
大阪のオバちゃんのシンボルです。
なんなら、柄だけじゃなくて、ヒョウの顔が入ったりもする。
確かに、私は「痛い」と思ってたんですよ今までは。
でも、その服屋さんに買い物に来ていたお客さんの言葉を聞いて、ハッとしました。
「私、ヒョウ柄の服着ないとなんか元気出ないねん」
「これを着てないと自分じゃないって感じ」
そうか、服を着ることで人は元気になったり、自分らしさを感じたりするのか。
ド派手なヒョウ柄の服に身を包み、満足そうに買い物をして帰っていくオバちゃんを見て、なんだかすごくうらやましく思っている自分がいました。
あれ、もしかして「痛い」って思ってたのは、「うらやましい」の裏返しの気持ちだったのかな。
着たい服を着ている人に対して、それができない自分のひがみを「痛い」って非難することで解消してたんじゃないのかな。
そういえば、男性はどんな服を着ても特に何か言われたりしない。
若い頃にお世話になったバンドマンの知人は、あれから10年以上経っても当時と変わらぬ、金髪にキャップをかぶり、ロックなTシャツにダボダボなジーンズをはいてる姿をよくSNSで見かけるけど、彼らしくていいなと思う。
それを見て、若作りだとか、痛いだとか思ったことはありません。
「ちょいワルオヤジ」なんて言葉が少し前に流行ったみたいに、年を重ねた男性がカジュアルを着こなすことはむしろ褒められるような風潮にある。
それなのに、どうして女性ばかりが年相応のファッションを求められるんでしょうか。
それって結局、年相応でいなきゃならないと思ってる女性が、自由奔放なファッションにひがんで「イタオバ」なんて表現をするから、それを見た女性が「痛いって思われるんだ・・・」と思って萎縮するっていう悪循環になってるんじゃないかな、とふと思いました。(若くてきれいな女性を優遇してきた男社会の名残もあると思うけどね)
自分が自由にできないから、他人の自由が許せないのでは。
そんなの、間違ってるよね。
そりゃ冠婚葬祭とか職場とか、他人が関わる場所ではある程度TPOを考えないといけないとは思うけど、それ以外は何を着ても自由だし、それをとやかく言ったり言われたりする筋合いはないと思う。
それなのに、この服はダメ、この色や柄はダメってどんどん自分に制約をつけて、いつの間にかファッションが楽しめなくなっていたことに気づきました。
自分をイタオバにしないように窮屈にしておいて、目に映る人のことを「イタオバ」呼ばわりしていたのは自分だったのです。
【自分を持つということ】
とは言え、自分が着たい服ってなんだろうってとこでまた悩む。
今までは「どう見られたいか」とか「何が流行っているか」でファッションを考えてきたから、自分のことは最初から置いてけぼりだったんですね。
だから、まずは他人軸の考え方をやめないといけないなと思いました。
あとは、つい妥協して買うクセもやめたい。
安いからと妥協して買っても、結局はすぐに飽きるし、大事にしてないような気がするから。
そう・・・自分の着たい服を着るということは、自分を大事にすることなんだと思う。
自分を大事にできて初めて、他人に優しくする余裕が生まれるし、他人の生き方をも認めることができると思うから。
人に「イタオバ」と呼ばれようが「上等だ」って返してやれるくらいに、自分を持っていなくちゃ。
自分を持つってことは、自分をよく知ってるってことなんだろうと思います。
芸能人でも、いつも同じような服を着ていてイメージが定着してる人なんかは、自分や周りの人がその人となりをよく理解して服を選んでいるからだろうと思うのです。
だから私も、自分のことをよく知れるように自分の声に耳を傾けてみたいと思う。
責めるでもなく、そういう自分だと受け入れながら。
たとえば、大人っぽい服に違和感を感じるのは、私の精神年齢が30代に追いついてないから。
だから、そういうアラフォーだとか世の中の年相応ってやつに当てはめた考え方はやめることにして、代わりに、自分の好きなものって何だったっけ?って考えてみることにしました。
・・・で、おととい買ってきたVansのスニーカー。

自分の足に合ってて、履きやすいし長持ちするし、大学時代に出会ってからずっとVansのスニーカーが大好きだったのに、ちょっと高いし、大人っぽくないからってしばらく敬遠してました。
でも、やっぱりこのやんちゃなフォルム。
黒スニーカーを探してはいたんですが、シルバーのラインがまたひとくせあっていい。
あああ、私の大好きなVansだぁ!!!!!
これからの人生は、こいつと歩いていく。
そんな気持ちで買ったら、もう本当に嬉しくて。
そういう、自分の大好きを追求していくことが、自分を大事にすることに繋がって、それが自分の人となりを作っていくんですね。
たとえアラフォーが読むべきファッション雑誌には載ってなくても、私はVansが大好きだからそれでいい。
なんだったらちょいワルオバサンと呼ばれたってかまわないよ。
人生を楽しむってそういうことなんじゃないかな、という気がしてきました。
そろそろシメに入りたいと思いますが、、、「イタオバ」って人からどれだけ言われても、その人が私の幸せを運んできてくれることはありません。
そんな人のために萎縮して生きていくのってばかばかしい。
人の目を気にしてコソコソ生きるより、自分の好きな世界を貫くんだって人のほうがかっこいいじゃないですか。
だからと言ってヒョウの顔つきカットソーを着ようという気には私はならないけど、大阪のオバちゃんにはちょっと尊敬しちゃいますし、こんな考察の機会を与えてくれて感謝です。(そのうち着るかもしんないし)
世の中の作るアラフォーのイメージ通りになんか生きてたまるかよ。
自分の生き方は自分で決める、そういうことですね。
もしかしたら、あやふやだった自分をしっかりと持つべきタイミングに、やっと自分がたどり着いたってだけのことかもしれませんが。
これからは、自分をもっと知って、自分のおしゃれと人生を楽しんでいきたいです。
そんな人がちょっとでも増えて、もっと世の中が自由になったらおもしろいだろうな・・・という願いを込めて。
最後まで読んでくださってありがとうございます^^