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【毒親育ちのエッセイ】#22 期待しすぎて子供から絶縁を申し込まれた人へ

テトロドかあさん タイトル画像

【過剰期待する親と子供の物語】

ットの質問箱や掲示板を見ると、私のような毒親育ちの書き込みだけでなく、「毒親と言われる心当たりがない」「娘から縁を切られそう」という親の訴えもよく目にします。

子供から「毒親だ」「縁を切りたい」と言われる時、それは問題の始まりではなく終わりなんだと思ってもらったほうがいいです。

今日は、そういうことも含め伝えてみようと思うんですが、毒親自覚のない人に向けて「期待しすぎる親」をテーマに1つの物語を書いてみました。

へたくそなたとえ話で申し訳ないんですが、私にとっての毒親というのはこういうイメージ、っていうものです。

なにかひっかかることがあればと思います。

あるところに、みかんの木がありました。

 

おかあさんは子供に毎日1つみかんを持って帰るように言いました。

 

最初は、みかんに手が届くだけでもうれしくて、どんなみかんを持って帰っても大喜びでした。

 

 

 

ある日、おかあさんはテレビで「甘いみかん」の特集を見ました。

 

「高いところになっているみかんはより甘い」とそのテレビでは言っていました。

 

おかあさんはそれを見て、より甘いみかんがほしくなりました。

 

 

その日、子供は青くてすっぱいみかんをとってきました。

 

おかあさんは翌日から子供にハシゴを持たせることにしました。

 

「なるべく高いところになっているみかんをとってくるのよ」

ところが、翌日も子供は青くてすっぱいみかんをとってきました。

おかあさんは腹を立て、
 
「甘いみかんがとれないなら、あなたなんかいらない!」

「なんのために高いハシゴを持たせてると思ってるの!」

と言いました。

子供はびっくりして悲しくなりました。

 


その翌日から、子供は甘いみかんを持って帰るようになりました。

それでも、時々青いみかんをもって帰る日もありました。

おかあさんは「甘いみかんが食べたいのに」と言って青いみかんに見向きもしません。

 

 


「私をこれ以上悲しませないで」

「おかあさんが悲しむと、あなたも悲しいでしょう?」

「これはあなたのために言ってるのよ」

そんなある日、おかあさんはママ友から

 

「うちの子はすっごく甘いみかんを2つも取ってきたのよ」

 

という話を聞きました。

 

 

おかあさんは子供に、

 

「あの子もできるんだからあなたにもできるでしょ」

 

と、今度から甘いみかんを2つ持って帰るように言いました。

 

 

「じゃあ、次は3つね」

 

「じゃあ、次は4つね」

 

おかあさんの欲しがるみかんの数は日に日に増えていきました。

 

 

おかあさんは、みかんの数を親戚やママ友に自慢することが大好きだったからです。

 

いっぽうでおかあさんは、みかんを1つしかとれない子供とそのママ友を

 

「できが悪い子を持つと不幸ね」

 

とバカにしました。

 

みかんを持って帰れないことは不幸なんだ、と思った子供は、みかんがとれなくなることがすごく怖くなりました。

甘いみかんをとることは、子供にとってはとても大変なことでした。

 

時々ハシゴから落ちそうになる時もありました。

 

晴れの日も、雨の日も、みかんをとるのに必死でした。

 

友達の誘いを断ってみかんをとる日もありました。

 

 

 

それでも、みかんがとれない時、子供は家に帰るのがおっくうになりました。

 

「頭が痛かったから」

 

「おなかが痛くなったから」

 

と苦しそうなフリをして、おかあさんが機嫌が悪くならないようにふるまいました。

そして、子供はやっとの思いで4つのみかんを持って帰りました。

 

しかし、おかあさんはもっとたくさんのみかんを取ってきたという別の人の話を聞いて

 

「たったの4つじゃ、おかあさん恥ずかしいじゃない!」

 

と、かんしゃくを起こし、もっともっとたくさんのみかんを取ってくるように子供に言いました。

子供は両手に抱えきれないほどのみかんを持ち帰りました。

 

それでもおかあさんは満足しません。

 

「もっと甘いみかんがもっとたくさん欲しい」 と言いました。


【過剰期待は親のエゴ】

の物語は、私が無理から作ったつくり話ですが、あながち外れてもないと思うんですよね。

私には子供がいないので、姪っ子や甥っ子を見て感じたことしか書けないですが、親のことを思ってない子供なんていないと私は思います。

初めてハイハイしたら喜んでくれた。

初めて立ったら喜んでくれた。

初めてごはんが食べられたら喜んでくれた。

その、親の「うれしい」って顔を見たくて、自分がいやなことでも頑張れるだけです。

 

でも、その「うれしい」って顔はだんだん見られなくなる。

できることが当たり前になり、要求はどんどん高くなっていく。

頑張っても頑張っても、喜んでもらえない。

親を悲しませる自分はダメ人間だ。

自分は自分の好きなように生きちゃいけないんだ。

みかんは1つのたとえだけど、現実はもっと複雑で、もっと長い時間をかけて、自己肯定感を徹底的に削っていく。

結果的に、親がそばにいなくても失われた自己肯定感は元には戻らないし、すごく長い時間、それこそ人生を通して子供を苦しめることになる。

「自分はダメだ」とか「自分が悪い」というのは、言ってしまえば子供の思い込みですが、生まれた時からそう思っている子供はいないでしょう。

「あなたのために言っている」

と親は自分を正当化した上で、

「私を悲しませないで」

「できない子はいらない」

などと、罪悪感を感じさせ脅迫することを、毒親は日常的に、ごく自然にやっているんです。

家の中では親がルールになる。

子供が自己否定的になるのは、ルールが間違っているからです。

「しつけのためにみんなそういう言葉を使うじゃないか」

という反論もあるでしょう。

でも、良親と毒親の違いは、適切な場面で適切な言葉をつかい、その都度子供に必要なフォローをしているかどうかだと私は思います。

 

「しつけだ」と言いながらも自分の都合で上のような言葉を使いませんでしたか?

ちゃんと子供の気持ちや状況を確かめましたか?

言いっぱなしで終わらず、きちんと愛情を示してあげましたか?

 

そうでないならば、それはしつけではなく毒。

愛ではなく絶望を子供に与えていたと思いますよ。

子供は本来、親を悪く思いたくはないから、親のエゴも自分のつらさも全部抱え込んでずっと苦しい思いをするんです。

そんなことも知らないで、やれその彼氏はダメだ、結婚はいつだ、子供は何人だ、もっと駅近に住め、もっと高給の職につけと・・・

大きなお世話!

一体いつまで親の期待に付き合わせるつもり?

「そうなってくれたらいいな」って親の純粋な願いじゃない・・・って本気でそう思いますか?

「そうなってくれたら『あなたの気持ちが』いいだけ」ってことに気づいてください。


【過剰に期待された子供の末路は】

て、じゃあ物語のエンディングにいきますね。

異なるエンディングを4つ用意しました。

一生懸命にやってきた子供は、反発心からおかあさんを殴り殺してしまいました。

我慢してきた子供は、家に帰ってきませんでした。

責任感の強い子供は、罪悪感で自殺してしまいました。

喜ばせたい気持ちでやってきた子供は、無気力になって引きこもってしまいました。

極端に書けばこういう感じかと。

親の期待の押しつけが子供の限界に達した時、子供は絶縁を申し出るなり、上のようになんらかの変化を起こすでしょう。

実際はもっとごちゃまぜで、変化を起こさなくとも子供はそんなカオスな精神状態で生きてます。

私自身、親と音信不通にしてるし、母をぶち殴る夢は何度も見るし、自殺願望もたびたび浮上するし、時々やるせなくなるから。

悲しいですね、こんな末路。

「一生懸命育ててあげたのに恩知らず」

って言う人多いと思うんですけど、こっちから言わせてもらえば

「一生懸命期待にこたえてきたのにどうして認めてくれないの?」

です。


【いい親子関係に必要なもの】

は、うまくやっていける親子は何が違うのでしょうか。

あくまでも私の考えですが、親子間にきちんと信頼関係が築けているからうまくやっていけるのです。

過剰期待する親がやってるのは、支配であり教育ではありません。

そこにあるのは信頼関係ではなく、主従関係。

 

ということに気づいたのは、私が親のことをちっとも信頼してないって気づいたからですけど。

信頼できる人というのは、こちらの話を聞いてくれ、こちらのことを理解した上で適切な反応を返してくれるから信頼できるのです。

私の母は、話は聞かない、途中で口を出す、逆ギレする、開き直る、持論を展開するのエンドレスループ。

いっぽうで父はめんどうが起きそうな時だけ出てきて、「もう終わり」と言う係の人。

私はいつも折れる形をとらされてきました。

 

それでも自分の中に蓄積した感情に気づいたのは、30代になって親との人間関係が破綻した時です。

表層では、いい親だと言い聞かせていたし、いい子であろうとし続けてたから。

でも、「話を聞いてもらえなかった」・「期待にこたえても認めてもらえなかった」という記憶は私の中にずっとあったんですよね。

それってつまり、私よりも親は自分の都合を大切にしたってことです。

それに気づいた時、私にとって親は信頼できる人ではなくなりました。

そして、毒親に圧倒的に足りてないものが2つあります。

1つめは、敬意です。

子供はうまくしゃべれないし、社会のことをよくは知らないかもしれない。

でも、それは一時的なことであって敬意を持たなくていい理由にはなりません。

じゃあいつになったら敬意を持ちますか?

成人したら?

お金が稼げたら?

大きな家を建てたら?

じゃあ反対にあなたはどうです?

敬意を持たれるにふさわしい人間ですか?

 

私は、たとえ子供でもひとりの人間としてきちんと認め、その尊厳は守られるべきだと思います。

同様に、親自身、あなたもです。

子供に過剰に期待する背景には、自分にコンプレックスがあり、子供時代に十分に希望を叶えられなかったという心理があると思います。

だから、子供のことを言う前に、親自身が自分のコンプレックスと向き合い、ありのままの自分を認めるということが大切です。

 

どんな子供だってそのままで十分すばらしいじゃないですか。

どうしてそれを認めてあげないの?

それを認めるとあなたが自分のコンプレックスに負けてしまいそうだから?

じゃあ、コンプレックスも含めてのご自身を認めてさしあげたら?

それができないのはなぜ?

子供を引き合いに出さなきゃいけないほど、ちっぽけで卑怯な自分を認めるのは怖いですか?

高貴に生きるのに、ブランドバッグも学歴もいりません。

あなたがあなたでいるだけですばらしいと、そう言える人間であればいいのです。

そしてもう1つは感謝

期待にこたえて当たり前、だから頑張っても褒めないし感謝もしない。

それは、働いても給料をもらえないのと同じです。

私たちは仕事の対価にお金をもらって、それを糧に生きています。

子供は、頑張りの対価(という言い方もイヤやけど)に愛を受け取って、それを糧に生きられるんですよ。

 

「こんなに頑張ってくれて、うれしい!ありがとう!」

そんな風に言ってあげたこと、あります?

 

私は、母から褒められた記憶がほっとんどありません。

「ありがとう」と言われた記憶は皆無に等しい。

で、人間は性質上いい感情はすぐ忘れますが、悪い感情はいつまでたっても覚えてるんですよ。(防衛本能があるので)

だから、褒めることや感謝することは多すぎるくらいでちょうどいいと思います。

あなたのもとに生まれてきてくれただけでもありがたいことなのに、なぜ感謝しないの?

子供のために仕事したり食事の用意してきたって、それで愛してるつもり?

ちゃんと伝える努力した?


私が信頼を置ける家族は相方ただひとりです。

どれだけ薄情だって言われても、それが事実なんだもん。

因果応報ですから。

ただ、過去は変えられなくても未来は変えられるんです。

子供が未来を変えようとやっとの思いで絶縁を申し込んだのですから、自分のしてきた子育ての結果として受け入れましょう。

十数年、場合によっては二十数年など長年にわたって蓄積した感情の結果ですから、とりあえずの謝罪や感謝で事が済むなんてことはありません。

同時に、あなたが長年かけて身につけてきた、支配的な性格や言動も、ほんの数ヶ月で改善することはありませんから、この機会に自分の生き方を見返り、心身ともに磨くことに徹してみてはいかがでしょうか。

親としてではなく、一人の人として信頼するに値する人間かどうか、今後付き合うにふさわしい人かどうか。

それを絶縁を通して子供は推し量っているのです。