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【毒親育ちのエッセイ】#24 2年ぶりに会ったら両親とも毒親だと再確認した

テトロドかあさん タイトル画像

【親族のお通夜にて】

日、父から親族の葬儀があるとLINEが来ました。

私が大学受験の時に、泊めてもらって、すごくお世話になったおばちゃん。

私のじいちゃんの弟の奥さんだから、かなり遠い親戚なのだけど、お世話になったお礼はちゃんとしておきたいと思いました。

ただ、両親と顔を合わせるのがしんどいし、お通夜だけ参加してさっと帰ろうと思ってました。

お通夜に行くと、おばちゃんの娘である親族が、めちゃくちゃ喜んでくれて。

「よく来てくれたね!!会えて嬉しい!元気だった?」

と気持ちよく迎えてくれて、こっちがいろいろお手伝いしなくちゃいけないのに、ずっとお世話されっぱなしになってしまいました。

そういえば、亡くなったおばちゃんも、いつ会ってもニコニコと微笑んでいて、とびっきり優しかった人。

そんなおばちゃんの娘である親族も、その娘である姉妹も、明るくて、優しさもあって、気遣いのできる人たちばかり。

最近の言葉で言うならば、コミュ力がずば抜けている家族。

そんな親族に囲まれて、「自分、不器用なんで」的な私は今までだったら、引っ込み思案になっていたのだけど、今はそんな自分でもいいんやって思ってるから、尊敬の気持ちを持って、楽に話ができてよかった。

それも、オープンマインドな雰囲気で迎えてくれたからこそなんですよね。

「(おばちゃんは)あなたに会うのをいつも楽しみにしてたし、ずっと大好きだったんだよ」

親族にそう言われた時、私はおばちゃんのことを信じれてなかったんだなと気づきました。

というのも、大学生になった私は、何度か挨拶におばちゃんを訪ねて行ったんですが、バンドを始めた頃からだんだんと後ろめたさを感じるようになって、おばちゃんに会いに行くことがなくなってしまったから。(これも、自分が小さい頃から親に否定され続けた結果だろうな。)

私が何をしていても、きっとおばちゃんは受け入れてくれたんだ・・・と思ったら、会いに行かなくなったことがすごく申し訳なく思いました。

同時に、私の存在を受け入れてくれていたってことをありがたく思いました。

葬式に行けば、両親と顔を合わせることになる。

でも、お通夜に参加して、ちゃんとおばちゃんのこと送ってあげたいなって気持ちになりました。

それに、両親と再会するきっかけなのかな、とも。

少なくとも、連絡してくれた父には義理があるかなと思い、意を決して葬式に行くことに決めました。


【2年ぶりの再会で改めて毒を確認】

日。

葬儀場で親族が集まる中、母は私を見るなり肩をバンッと叩き、私をにらみつけて腕をつかんできました。

私は、何があっても自分の気持ちを優先させようと思っていたので、

「やめてよ」

と意思表示をしました。

すかさず、察してくれた親族が間に入って事なきをえましたが、母は悔しまぎれなのか、

「ババくさい髪型!」

と捨てゼリフを吐きました。

それが、2年ぶりに会う娘に対する言葉なのかと思い、早々にこの場に来たことを後悔してしまいました。

その後、葬儀の合間に大きな荷物を私に見せ、

「持ってきたから、持って帰ってね」

と言われました。

そもそも、この絶縁の発端となったのは、荷物の押し付け・・・もっと踏み込んで言うならば、愛という名の承認欲求の押し付けに嫌気がさしたこと。

絶対に受け取ってはいけない、と思い、断ると

「私はあなたのことを一生懸命育てたのよ」

と泣きを入れてくる。

一生懸命運転していたのなら、車で人を轢き殺してもいいなんて道理はない。

それに、育てることに一生懸命だったんじゃなくて、私を自分の思い通りに動かすことに一生懸命だったんだと思うよ。

「一生懸命だったら私の気持ちはどうなってもいいの?こんなことになっているのにまだわからないの?」

と言うと

「こんなことって、何も起きてないじゃないの」

・・・ファッ?!!

私が意を決して、それこそ断腸の思いで絶縁したのに、母にとったら何も起きてなかったんだってことがわかりました。

そこで、親族が間に入り、会話は中断。

そして、しばらくすると、今度は父が荷物を持ってきた。

父の言うことなら断れないだろうということでしょう、少なくとも今まではそうだったから。

でも、今は違う。

「いらない」と断ると、

「そんなにひねくれてるんか」

と父が言うので

「ひねくれてるって思うのがおかしいと思うよ」

と答えて、その場を離れました。

今までは、毒親は母だけで、父はむしろ理解のある人だと思っていました。

でも、このブログを書き進めるにつれて、父への疑念もだんだんと浮かんできた。

だから、この「ひねくれてる」って一言を聞いた時に「やっぱりな」って、疑念が確信に変わったんですよね。

父も、母とは違う角度から私のことを制圧していたんだと。

そんな感じだったから、葬儀の間、雑念をおさえておばちゃんを弔うのはなかなか大変でした。

親族の誰もが、私の存在を認め、会っただけで喜んでくれたのに、会った瞬間に私を不快にさせ、暴言を吐く母の異質さ。

同じ親族でもこんなにも違うもんなのかって。

最終的には、他の親族みんなが私のフォローにまわってくれて、私は逃げるように帰宅の途に着きました。

逆に考えると、親族みんな、うちの異常さを知ってたってこと・・・?

だから、私に会うとみんな優しくしてくれたの?

みんな頭がよくて大人だからスルーしてきたけど、私だけがまともに受けて苦しんでいたんじゃないかって、そんなことを考えながら帰りました。

私だけ苦しみながら、そんな親を信じていたのかって。

久しぶりに泣きましたね、自分の愚かさを知って。


【子供をひねくれ者にする親は信頼できない】

に言われた「ひねくれてる」という言葉は、学生時代に、両親から何度も言われた言葉です。

親の意見に反発するたびに、私は「ひねくれ者」と罵られ、自分の意見を言うことが悪だと思わされてきました。

そうやって、親は自分のことを正当化して、子供の権利を剥奪し、親の思い通りの道を進むようにコントロールしてきたんですね。

その言葉は「親の言うことは正しい」ということが前提になってるけど、今までに検証も、軌道修正も、されたことは一度もないと思う。

このブログですら、何度も書きかえて、何度もチェックをして、それでも疑って、より良いものを発信しようと常に考えをめぐらせているのに、当事者のヒアリングもせず、社会情勢の把握もせず、一体何を根拠に、親自身の正しさを証明できるって言うんでしょうか。

私をひねくれ者と言えるだけの根拠があるのか。

自己正当化しがちな人は自己愛が強く、自分の非を認めたがらない傾向にあると思います。

だから、不都合な事実からは目を背け、意に反する意見には耳を貸さないという姿勢を取る。

そして、自分の気分が害されたと思えば、相手を「ひねくれ者」にする。

自分の言動が正しかったかどうかなんて疑いもしない。

根拠のない正しさの押し付けは、例えて言うならどこぞの国の一党独裁政治のようなもの。

気に入らない者は処罰し、徹底的に従わせる。

そこにあるのは信頼ではなく、抑制。

子供がその国で生き残るためには、自分を押し殺して言うことを聞くしかない。

今までは、私が子供だったからそれがまかり通っていたけど、もうその手は通用しない。

「どうしてあの子はこんなに変になっちゃったんだろう」

そんな風に思っているだろうけど、そんなやり方にうんざりして反旗を翻した、ただそれだけの話です。

簡単だよ?

それ以上思考を深めていかないのはただの怠慢で、私への愛はその程度ということを表している。

私は愛していたから、めちゃくちゃ考えた結果が今なんだけど。

帰宅して、葬儀中に無理やり渡された母からの手紙を読みました。

「いつも気にしています」

と見事な美辞麗句が並んでいました。

私自身、ブログを書いてきたから、「こう書いておけばいいだろう」的な・・・うわっつらの文章だってことはすぐにわかりましたよ。

自分は娘を待ち続ける健気な母親なんですって感じのことがまあいけしゃあしゃあと。

よっぽど自分のことがかわいいらしい。

そんな人が、会った瞬間に私をにらみつけて、腕をつかんだりするでしょうか。

親族のように、

「よく来てくれたね!!会えて嬉しい!元気だった?」

と言うのが普通でしょう。

文字に書けても、態度で示せないなら、それは嘘です。

自分が使ってなくても、利のためなら「神コスメ!」って書けるからね、ブログには。(私はそういうことはやらない。)

「困った時は親を頼って下さい」

とありましたが、会った瞬間に会ったことを後悔させる人をどうして頼ることができる?

それに、いつも私に両手を広げながらナイフを突き立ててくるじゃないですか。

「産まなければよかった」

「産んだことも忘れます」

以前に私にそう言ったことは忘れましたか?

それほどまでに自分の言葉に責任持てない人のことを信頼できると思う?

私は、とてもじゃないけどできない。

それと、手紙と一緒にお金が入っていたけど、お金で私の心を買おうとしているのが見え見え。

年金受給者からおこづかいをもらって喜ぶような子供がいたら、自分が親だったら恥ずかしいわ。

それは、私のためではなく、あなたが愛してほしいためのお金でしょう。

 

全体を通して、母の「姑息さ」を体現したような手紙にうんざり。


【絶縁2年しても毒親は変わらないことが証明された】

局、両親は自分が一番かわいい。

自分が傷つきたくないから、私をひねくれ者にして、親のこうむるべき痛みをそっくりそのまま私に浴びせてきたんですよ。

私も以前は逃げてばかりの人間だったからわかるんだけど・・・自分が痛い思いをする覚悟もないくせに、親ヅラするな、と言いたいです。

私はめちゃくちゃ痛かったぞ。

というわけで、2年ぶりに会った両親はやっぱり毒親で、絶縁しても、親は変わらないってことが証明される結果となりました。

よかったんか悪かったんか。

まあブログネタとしては悪くないか。