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【毒親育ちのエッセイ】#24 毒親を理解できない人はアレルギー症状を想像してほしい

テトロドかあさん タイトル画像

【もうすぐ毒親育ちが理解されない時代は終わる】

状、「毒親」という概念は、世間に理解されない。

私自身、知人に話すと「親不孝」だの「わがまま」だの言われて、孤独感を感じてきたものです。

でも、それも仕方ないとも思う。

というのも、毒親とそうでない親との境界線がすごく曖昧だし、実際に、毒親とそうでない親がする行為というのは、あまり違いがないから。

じゃあ、毒親とそうでない親は何が違うかと言うと、本当に子供のための行動をしてるかどうか、ということだと思うんですよね。

たとえば、側から見ると教育熱心な親でも、実際は、子供が悪い成績だと自分が恥をかくことがイヤだからそのために過剰な勉強を強いているという毒親である可能性があるんですよ。

目的が、親が恥をかかないようにすることなので、子供の心はほったらかし。

でも、そういう親に限って、自分は子供に献身的な親だと勘違いしている。

はい、まさにうちの親です。

前回の記事(#23)に書きましたが、そうやって自分の保身を一生懸命してきたことを、あたかも子育てを一生懸命してきたのと勘違いしているのです。

でも、そういうのって外からはわからないですよね。

それに、世間の多くの人は親だし、自分の耳が痛くなる話は聞きたくないもの。

かと言って、親を教育するような場所は今のところどこにもないし、正しい子育てが体系化されてるわけでもないし、体系化もできない。

だから、「毒親」と聞いても、自分とは関係ないものとして聞き流しちゃうか、「そう言う子供のほうが悪い」と聞く耳を持たないかどちらかでしょう。

そういうわけで、毒親育ちの人たちは、誰にも理解してもらえずに、人知れず苦しんでいると思います。

私自身もめちゃくちゃしんどいです。

さて、そんな中、日曜日の朝の情報バラエティ番組で「毒親」というテーマが取り扱われているのを見ました。

やっとテレビでも少しずつ取り扱ってくれるようになったんだな、という気持ちです。

これまでは、家庭内の問題ごとは明るみに出ることはなかったと思うんですが、ネットの台頭とともに、体裁だけのコンテンツは嘘や隠しごとが暴かれるようになって、その存在意義を問われるようになってきたと思います。

でも、これからの時代は、体裁だけのコンテンツはすぐに正体がばれるし、より誠実さの感じられるコンテンツを重視するような時代になっていくんじゃないかなと思っています。

「家族」というコンテンツもそうです。

「親」というコンテンツもそう。

血のつながりよりも、自分にとって大切かどうかが、より重視されるようになると思います。

養子縁組も、卵子や精子の提供を受けることも、だんだんと認知が広がってきたのはそういう思想が受け入れられるようになったからではないでしょうか。

今、「毒親」という考え方が広がりつつあるのも、ネットの影響は否定できないと思いますし、デジタルネイティブ世代が大人になる頃には、今よりもっと、体裁だけのコンテンツは通用しなくなっていると思います。

縦割り社会の上のほうにいるからと、ふんぞり返る人が「老害」と言われて嫌われるようになったのは、学歴も、終身雇用も、かつてのような輝きはないのに、時代遅れの考えにすがって力まかせに発言しようとするからです。

そこに、自分たちにとって大切な情報はない、すなわち、自分たちにとって大切な人ではない(むしろ害悪)と見透かされているのです。

同じように、「毒親」について世間の認識が広がれば広がるほど、体裁だけの親は、化けの皮がはがれることに怯えながら暮らすことになるでしょう。

子供の人生を台無しにする毒親は社会の害悪でしかないので、自分にとって、社会にとって、大切でないと判断されれば、簡単に切り捨てられるだろうと思います。

これからの時代は、人情論よりもロジカルシンキングのほうがしっくりくると思うし、そうなっても不思議はありません。

だから、毒親育ちが理解されない時代も、もうすぐ終わると私は思っています。


【毒親に対する反応はアレルギーに似てる】

て、今日私が書きたかったことはそんなことじゃないんですよ。汗

先日、葬儀でたった1日会っただけで、私は1週間分の生きる気力も何もかも奪われて、ゾンビ状態になってしまったんです。

こんなに思考を重ねて、メンタルトレーニングをしてきたつもりのこの私が、ですよ。

久しぶりに本当に死にたいと思って、わけもなく涙が流れて、ツイッターにも当たり散らしてなんとかしのぎましたが、ちょっとやばかったですね。

この、訳のわからない苦しさを、毒親を知らない人にもわかってもらうためにどのように言語化したらいいかをずっと考えてたんですけど、それがちょっとわかったので今ブログを書いてるわけです。

最初は、「ハラスメント」という言葉かなと思いました。

でもこの言葉にはどうしても「被害者妄想」という悪いイメージがつきまとう。

違うんですよ、毒親育ちは。

確かに、被害者妄想みたいな人もいるけど、そうじゃない。

う〜ん・・・そういえば鼻がムズムズして、目がかゆい・・・あ〜花粉症やだなぁ・・・ってそれや!!!!って思いましてん。

毒親に対するこの苦しさは、「アレルギー症状」に似てるんですよ。

つまりは、親をアレルギー物質と潜在的に認識し、子供が無理して接触してきた結果が心に蓄積されて、許容値を超えた時にアレルギー反応として苦しみが発生するってこと。

そう思うと、離れると楽になるし、再び接触すると過剰に反応してしまうことにもなんとなく納得できる。

それまではオッケーだったのに、発症してからは無理っていうのも、アレルギーと思えば理解してもらえるかしら。

無理して付き合えば、アナフィラキシーショックが起きてもおかしくはないしね。

極端な話、自殺とか、殺人事件とか実際に起きてるわけで。

体にアレルギーがあるように、心にアレルギーがあってもおかしくはないな〜と思ったのです。

・・・と私が全身全霊で、こうして自己擁護に走るのも、私自身がめちゃくちゃ落胆しているからです。

こんなに一生懸命考えてきたことが、やっぱりムダだったってこともあるし、絶縁を機に母が何か考えるどころか、母にとっては私の絶縁が何でもなかったってことに。

あれ?「母強し」ってこういう時につかう言葉でしたっけ・・・的な。

でも、それよりなにより、そのことに落胆している自分に落胆したんです。

親は変わらないって理屈でわかっているのに、まだ変わってほしいと思ってたんだっていう自分の本心に気づいたんですね。

ほんと、バカですよね。

そして、そのバカみたいな執着心が、まるで母みたいだと思って、さらに自己嫌悪。


【いくら親族に仲直りを求められても】

は、先日の葬儀で同席したおば(母の妹)から、手紙が届いたんです。

おばには、私が一方的に母を避けているように見えたんでしょう。(母もそう思ってるだろうけど)

おばは、私が母と仲直りできないのを、一時の感情をこじらせての行動だと思ってるんだろうと思います。

だから、手紙には

「仲直りするように努力できない?」

と書いてありました。

結局は、自分の思ってることを全部書き出して返事を出しましたが、アレルギーと書けば理解されるのかなって思ったんですよね。

母と会ったら、母と話をしたら、息が苦しくなっちゃうんですよ。

また否定されるんじゃないか、また傷つけられるんじゃないかって、心の抗体が反応しちゃうんですよ。

実際に会ったら、自己嫌悪が強まって死にたくなっちゃうんですよ。

それは、自分の努力ではどうしようもないこと。

だって、私こんなにいっぱい、一生懸命考えてきたのにダメなんだもん。

これ以上、頑張れない。

卵を食べたら息が苦しくなっちゃう人に、無理やり卵を食べさせるようなことしないですよね。

それと同じみたいに、自分の親を毒親として距離を置くことを理解してもらえたら、ずいぶん生きやすくなるのになぁと思います。

おばだけじゃなくて、社会全体としてね。

・・・まあ別に理解されなくても、私はそうして生きていくのだけど。

もし、この記事にたどり着いてくださった方が、兄弟姉妹の親子関係に悩んでいて、仲直りさせるにはどうしたらいいかを調べているのであれば、どうかそっと見守るという選択肢を、付け加えてくださいませんか。

毒親育ちの子供は、ただでさえ他人の言動に敏感なので、自分の行動で親がどう感じているかを想像しただけでも、自責の念にかられてすごくつらい思いをしています。

でも、だからっておいそれと親に近づけないんです。

離れていても苦しいし、近づけば傷つけられて苦しい。

そんな精神的なダブルバインドの状況を作り出したのは、親のこれまでの言動が原因なんです。

どうかそれをわかってください・・・いや、わからなくてもいいからそっとしといてください。

お願いします・・・。