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【毒親育ちのエッセイ】#26 ものであふれた実家と将来への懸念

テトロドかあさん タイトル画像

【物置部屋だらけの実家】

の実家には、先祖代々の家と、その隣に母が建てた家の二軒があります。

先祖代々の家は築100年以上経っている。

重たいかわら屋根は補強をしないと支えていられない状態で、雨漏りもするみたいだし、そろそろ解体も視野に入れて考えなければいけないってことを5年ほど前に聞きました。

古い家を解体するために、まずは母が建てた家のものを片付けないといけないと思った私は、せめて自分のものだけでも片付けなければと思い、そのつもりで数年前に実家に帰ったことがあるんですが・・・

正直、手に負えないほどの荷物が残っていました。

それこそ、小学校時代からの教科書や参考書、雑誌、ぬいぐるみ、雑貨などなど・・・。

おそらく全部ごみ袋に詰めていったら、一部屋まるまるごみ袋で埋まってしまうくらいになるとは思う。

でも、ごみの処分の仕方も、分別のルールも微妙にちがうみたいでよくわからないし、とにかく全然片付けが進まない。

結局、たった数日の帰省では無理ってことであきらめてしまったんですよね。

一応、全部ごみってことは伝えたけど・・・。

そんな私のものが残っている、母の建てた家は5DK。

その家を私が出て18年になるから、もう18年もの歳月を父と母はその家で二人暮らしをしていることになります。

私の部屋だった場所は、エアコンの事情で、私が家を出てからほどなくして父と母の寝室になった。

それまで父と母の寝室として使っていた部屋はそれ以来、物置部屋に。

もともと兄の部屋だった部屋も、兄が出て行ってからはずっと物置部屋。

父が仕事の合間に座椅子でくつろぎテレビを楽しんでいた部屋もいつの間にか物置部屋。

もともと納戸として使っていた部屋もあるし、5DKのうち部屋としてまともに機能しているのはたったの2部屋しかなくて、残りは全て物置部屋。

結果、くつろげる空間がまったくない家になっていました。

これって、家のあり方としてはかなり病的だと感じますし、そんな家に18年も住んでよく平気でいられるなぁと、親の精神状態についても懸念するところがあります。


【実家の片付けの話をしたら大ゲンカになった】

人の家のことならとやかくは言わないけど、父も母もだんだん弱っていく年齢。

置いてあるものも、もう数年使っている気配がない。

経年劣化の損傷が激しいバッグや、カビの生えた洋服なんかもあって、物置部屋はホコリとカビでくもったようなにおいがする。

心配に思った私は、その時に

「カビの生えた服とかもあったから片付けたほうがいいんじゃない」

と言ったんですが、それが母の逆鱗に触れてしまいました。

自分のものですら片付けることができなかったので、私には言う資格がなかったのかもしれないけど・・・。

結果的に、お互い感情的になって話し合いどころじゃなくなってしまった。

それなのに、後日母はこうも言ったのです。

「うちらが死んでから兄嫁と二人で片付ければいいじゃないの」

その言葉を聞いて、私はぞっとしました。

こんなにものをため込んでおいて、それを私と兄嫁ですればいいなんて、正気で言ってるのかと思いました。

親としてのプライドを持ってるなら、せめて自分たちのものくらい自分たちで処分してから逝ってほしい。

母は孫にこの家を残すとかなんとか言ってましたが、正直、こんなにぞんざいに扱われている家を引き渡されるほうが迷惑です。

親の自己満足にどこまで下の世代を巻き込むのか。

そんな風にして、世の中の空き家問題っていうのが発生するんだと思いました・・・。

それと、自分は死んでなお人に迷惑かけるような人間にはなるまい、と固く心に誓いました。

思い返してみれば、家の掃除はばあちゃんの役目で、ばあちゃんがいたから私はいつも気持ちよく家で過ごせていたんだと思いました。

そのばあちゃんのお葬式には、家の顔である玄関周りの掃除は相方がして、その間、母は孫のキゲンをとろうと野菜のスープだかなんだかを一生懸命こしらえていたんですよ。

自分の母親を弔いに来た人たちを出迎えもせず。(それは私がやった。)

そして、ばあちゃんが死んでから半年後に帰った実家はホコリや湿気が充満していて、すごく居心地が悪かった。

その時、私と母は絶縁することになるんですけど、今から思えばそういうことが起きても不思議はない空間だったのかもしれない。


【家は母の生き様をあらわしている】

は心理学的なことはよくわからないけど、家って家主の精神状態とか信念とかがあらわれるものだと思います。

実家には、似つかわしくない大型のブランド家具がぎゅうぎゅうに詰め込まれてるんですが、それは母の自己顕示欲そのもの。

物量の多さは、貧しさへの恐怖心や心の寂しさをカバーするため。

なんでもかんでも布でおおったり、柄物のカーペットを敷きたがるのは、都合の悪い真実を隠そうとしているから。

そんな感じで目に見える場所はものでいっぱいだから、くつろぐことも、落ち着いて考えることもできない。

実際に、母の言動は70年という歳月を感じさせないほど浅はかだと感じます。

「揚げ物は汚れるから古い家でする」と言ってたけど、それはつまり、先祖の家は汚れてもかまわないと言ってるのと同じで、敬意がない。

そもそも古い家に敬意があったら、隣にこれ見よがしに家を建てたりはしないだろうと思うのです。

その、母の建てた家のキッチンは手狭で使い勝手が非常に悪い。

使うためのキッチンじゃないってすぐにわかる。

そういうところからも、自己顕示欲だけでこの家を建てたんだってことが感じ取れるのです。

それなのに古い家の解体に踏み切れないのは、単にお金の問題だけじゃなくて、自分の過去とけじめがつけられてないからなのではないかと思います。

それに、今や自分が家系図のトップにいるのに、決断する自信がない。

ちょっとの雨でさえ守れない家なんか、家としての機能はとっくの昔に失っていて、そこにあることで家族だけでなく近隣の住民さえも脅威にさらしているようなもの。

それなのに正しい判断ができないのは、自分に対する甘え以外の何でもない。

それを自分で認めないで、「家を引き継ぐ」なんてきれいごとを言って逃げてる。

実質は後の世代にツケを回してるだけだ。

それを自分の功績だと勘違いしてるならとんだボンクラ。

本気で引き継ごうと思う人はきちんと手入れするはずだけど、そんな姿勢は一度だって見たことはないし。

私は、自分の親がそんな人間だったんだと思うと、すごく悲しい。

生前、あんなに自分の親(ばあちゃんのことね)をケチョンケチョンに言っていたんだから、その言葉に見合うだけの生き様を見せてくれよって思います。

まあ私はその母の姿を受け継いで、このようにケチョンケチョンに書くわけですけども。

数年前、私が家の片付けについて話をもちかけた時、自分も家の一員として協力したいと確かに思っていました。

お金が足りないなら協力できるように考えたいとも思ってた。

でも、今はそんな気持ちもなくなってしまいました。

18歳の春に私が実家を出てから18年。

36歳の春が過ぎたから、家を出てからのほうが長いってことなんですが、あの家には最初から私の居場所なんてなかったようなもんだし、もう帰りたいとも思いません。(萩のことは大好きだけど)

今、自分で住まいを持って暮らしてみて、やっぱりあんな窮屈な空間は異常だったと思う。

私はそんな実家の問題ときちんと向き合おうとして話をしたんだけど、そんな話を母にできる人は他に誰もいないだろうと思いますし、私なりにできることはしたんだと思います。(ごみは置いてるけど)

親は親としてのプライドがあるから、子供の力なんか借りたくないって思ってるんだろうけど、それって逆に言うと子供のことちっとも信頼してないってことだからね。

あの時にあれだけ逆ギレしてみせたんだから、あの家の結末をどのように導くのか、親としてのプライドと、長年生きてきた知恵と手腕が発揮されることを期待しています。