じゃばみの作った音楽を紹介してます!ここをタップしてね!

不妊の夫婦が犬を飼う理由

じゃばみ(@jabamichan)です。

私はこの記事を書いている時点で結婚5年、不妊のためクリニックに通ったこともありますが、子宝には恵まれませんでした。

この記事では、そんな私が犬を飼ってみて思ったことをつづってみたいと思います。


【不妊は孤独】

になると人はこぞって自分の子供のことをSNSに投稿し始める。

もちろんそれが生活のすべてになるんだから、仕方ないっちゃ仕方ない。

でも、でもね。

その行為が、いかに不妊の人の心をえぐり、痛めつけるかなんて考えもしないと思うの。

たとえば、空腹の時に飯テロ画像を見せられるとイラっとするよね。

空腹は満たせるけど、不妊は満たせない。

そういう投稿を見るたびに、不妊である自分を責め、友人の子供の成長を素直に喜んであげられない自分を責める。

結果として、自分の心を安定させるために、友人をフォローから外すことになる。

そして、近況を気にすべき人なんて、誰もいないことに気づく。

同時に、自分の近況を気にしてくれる人なんて、誰もいないってことにも。

いっぽうで、家族はどうか。

前にばあちゃんの葬儀で久々に親族で集まる機会があったけど、話題は孫のことに集中していて、不妊の私たち夫婦はまるで蚊帳の外だった。

小さい子供がかわいいのは当たり前だから、姪っ子や甥っ子にヤキモチを焼いているわけではない。

ただ、なんだろうな・・・

私たち、ここにいる必要ないよね、っていうのが率直な感想。

飲酒した後のドライバーや、小間使いとして使われるだけの実家にわざわざ帰りたいとは思わなくなった。

そうして、私は同世代の友人とも、家族とも、距離を置いた。

専業主婦だから、もともと社会との接点もない。

コロナ禍で音楽仲間と会う機会もなくなったし、自分がさほどライブをしたいわけじゃないってことにも気づいた。

スーパーと家との往復で日常が完結する。

世間で話題になっていることは、ネットが教えてくれる。

実に孤独な毎日だ。

それはそれで不便もないし、悪くない。

このまま人生が終わっていくのも、ひとつの生き方なんだろう。

そうやってどこか冷めた気持ちで、自分の人生を受け入れられるようになったのは、私が子供を授かることをすっかりあきらめてしまったからだと思う。


【養子縁組や里親は私たちには難しかった】

んな私たち夫婦に転機が訪れた。

今考えればなんであんなに気持ちが盛り上がったのかわからないけど、ネットの写真を見て「この子だ!」と思った子犬を翌日に家にお迎えした。

愛犬家の人には怒られてしまうかもしれないけど、「犬でも飼おうか」と言い始めて、1週間以内のことだ。

実は犬を飼うことを考える前に、養子縁組や里親についても調べたことがある。

ただ、私自身が実親との仲に問題を抱えていて、里親になる自信が持てなかった。

また、相方も持病があるために里親になることは難しいだろうという考えだった。

だからと言って、犬を飼うことが楽だなんて思ってはいない。

私自身、中学時代に犬を飼っていたけど、3才で亡くしてしまった苦い経験がある。

そのことから、今までは犬を飼いたいという気持ちはあったものの、なかなか踏ん切りがつかなかった。

だから、もし私たちの行動に整合性を持たせようと思ったら、もう「こうなる運命だった」と言うしかない。

でもよくよく考えたら、私と相方との出会いも整合性なんてなかった。

運命なんてそういうものだ。

飼うと決めたんだから、この子は絶対に世界で一番幸せな犬にしてやる。

そう心に誓った。


【今までできなかったことができるようになった】

を我が家に迎えて、もうすぐ1ヶ月。

1ヶ月という短い期間ではあるけど、かなり大きく生活が変わった。

今まで遅寝遅起きだったのに、毎朝6時台には犬の物音で目が覚める。

自分の時間を割いてでも、犬のしつけや遊びに時間をたっぷり使ってやることになんの苦も感じない。

毎晩寝る前には湯たんぽを用意してやり、不安そうな時には声をかけてあげる。

トイレの世話も、大切な健康チェックだ。

好き放題に生きていた私が、自分以外の存在のために頑張れている、そのことに自分でもびっくりしたし、嬉しくも思う。

これが子育てなのか、そう思った。

すると、不思議なことにSNSで人の子供の投稿を見ても、前みたいに不快に感じることはなくなった。

むしろ「元気でよろしい」って思えるくらいの心の余裕ができた。

まぁ子供とはいえ肖像権はあるので、たとえ親でも子供の写真を投稿するのは個人的にはいいとは思わないけど、犬のかわいい写真を見て不快に思う人はそういないと思うし、社会貢献の一環だと思って私自身は犬の写真を時々SNSに載せている。

もっと驚いたことは、犬を飼ったことで社会との微妙な接点が生まれたことだ。

犬のワクチンが完了するまでは外を歩かせることができないので、抱っこでのお散歩をしている。

今まではすれ違う人に挨拶をするなんてなかったのに、犬を連れている人に挨拶をする機会はすごく増えた。

犬も家族以外の人や犬とコミュニケーションをとることで、社会勉強をし、しつけにも影響が出るとのこと。

社会性のなかった私が、犬のために社会性を持ち始めているのである。

「ジャックラッセルだったら狩猟犬だから大変よ〜」

「お散歩できるようになるのが楽しみやね」

そんな言葉を、人様からかけていただけるとは・・・。

この子がいて、初めて私という人間がこの社会に存在しているのを実感した。


【不妊の自分を癒すための最善策】

・・・そう思えば、社会にとって不妊の私は透明人間と同じだった。

誰からも声をかけられない。

誰にも気にしてもらえない。

ひっそりと息をひそめて、多くを求めず、悲しみやつらさを押し殺しながら暮らしている、そんな人たちの心のよりどころはないのだろうか。

ただ、不妊の人同士で集まってコミュニティを作りましょうというのも違う、と思う。

28歳の女性と38歳の女性では、きっと同じ感覚で不妊の話をすることはできない。

年齢の他にも、体質、病気の有無、旦那さんや家族の理解の有無、生活水準、地域的な考え方などなど・・・それらの条件によって、不妊のとらえ方はまったく違うと思うからだ。

それに、不妊でつながっていたメンバーの誰かがめでたく妊娠できた時、素直に喜べるだろうか。

残されたメンバー同士での傷の舐め合いと、出て行ったメンバーへの妬みがあふれかえり、そのうちに美のカリスマ的なメンバーが急に仕切り始め、怪しい通信販売やサロンへの勧誘を始めるに違いない・・・。

残念ながらそんな感じの、カオティックで不毛なコミュニティしか想像できない。

結局、他人は誰も不妊を癒してはくれない、という結論にたどり着く。

それが、私の思う不妊の夫婦が犬を飼う理由だ。

自分で自分を癒すための選択が、犬だったというわけだ。

犬のしつけは、人間の子育てと変わらず、エネルギーと根気、そして何よりも愛情がいる。

育て方を間違えれば、犬だって傍若無人になり、他の人や犬に迷惑をかけてしまう嫌われ者になる。

少なくとも私は、犬を自分の子供のように思っているし、この子をそんな子にしてはいけないと思っている。

「出会ってくれてありがとう」

「大好きだよ、愛してるよ」

そんな言葉を毎日言って聞かせ、時々カミナリを落としながら、母ちゃんをさせていただいる毎日を幸せに感じている。

子育てに必死すぎて他人のことがどうでもよくなる、子育て中の同世代が抱いているであろう感覚も知ることができた。

不妊について思い悩むのは、悩むのに使える時間があったからなんだ、ってことにも気づいた。

つまり、不妊の自分を癒すための最善策は、不妊について悩む時間を自分のために思う存分つかうことだと私は思う。

子供がいたらできないことって、想像以上にたくさんある。

時間を自分のためにつかえる自由を、不妊の人は持っているのだ。

だから、子供ができる・できないってことだけにフォーカスして、時間を浪費するのはもったいない。

せっかく不妊なんだから、不妊なりの人生を謳歌してやりましょう。

最後に、私たち夫婦にとっては、人生の過ごし方を犬を飼うことに決めたってだけで、闇雲に犬を飼うことを推奨したいわけじゃないってことは書いておきたい。

正直言って、犬飼うのすげー大変ですから。

長い独り言に付き合ってくれてどうもありがとう。