アダルトチルドレンは楽しむことが難しい

生きづらさの1つに「楽しむことが難しい」ということがあります。

この記事で、なぜ楽しむことが難しいのか、そうなった原因、今後の対策を私の体験談をもとにまとめてみたいと思います。


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【なぜ楽しむことが難しいのか】

しむことが難しい理由として、私には以下の2つのメンタルブロックが思い当たりました。

楽しむことに罪悪感がある

に法に触れるわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないのに、なんだか楽しんでいると悪いことをしているような気分になります。

そういうわけで、私自身は楽しい雰囲気を避け、楽しそうなことや人を軽蔑したり批判したりするようになっていました。


楽しみに苦痛が伴うと思っている

に書いた罪悪感と同時に、「楽しいことの後にはつらいことが待っている」という感覚が私にはあります。

「そのギャップがつらいから楽しまないでおこう」と心の感度を下げて過ごすことも多かったです。


目的のない行動ができない

か行動するにも、いちいち目的や生産性を考えなければできないところが私にはあります。

特に「楽しむことが目的」だと、なんだかもやっとするのです。


【楽しむことが難しくなった原因】

記のようなメンタルブロックを抱いてしまった原因は、私の場合は子供時代にあると思っています。

象徴的だった体験談を以下にまとめてみます。

笑っていると怒られた

笑い番組を見て笑っていると怒られ、何かふざけていると「調子に乗るな」と怒られ、家庭内で大笑いしたことなんてなかったように思います。

そんな感じで「楽しんでいると怒られる」経験が積み重なって、罪悪感に繋がったのではないかと思います。


報酬としてしか楽しみを与えられなかった

は「ノルマの勉強を済ませてから遊ぶように」と決められていて、お正月でも旅行先でも関係なく、ノルマが課されていました。

決まりを破って遊びに行こうものなら、たとえ友達の家だろうが強制的に連れ戻される。

結果として、「楽しみとは何かつらいものを乗り越えなければ得られないものだ」と刷り込まれてしまったと思います。


親が楽しむことをしなかった

が家は、生活苦に陥るような経済状況ではなかったと思いますが、両親は共働きで副業もしており、休みなく働いていました。

家は「寝に帰る場所」であり、くつろいだり楽しんだりする空間ではありませんでした。

親もまた、楽しむことに罪悪感を抱き、目的のない楽しみ方ができない人間だったと思います。


【今後の対策】

自身は家庭犬トレーナーの資格を持っているのですが、犬の社会化トレーニングも人間の生きづらさ解消トレーニングも似たようなものではないかと思います。

幼少期に学習してしまったネガティブな体験は、ポジティブな体験を繰り返すことで学習し直すしかないと思うのです。

それを前提に、今後の対策としてできることを以下にまとめてみます。

楽しいという感情を認識する

もそも私自身、「楽しい」ということがどういう感情かよくわからないので、とりあえず「心地よい」や「快適」を意識してみることにします。

自分に「今どんな気分?」と問いかけて、ポジティブな感じならそれを「楽しい」ということにしてもいいかな。


楽しい体験を積み重ねる

う後は、洪水療法というかなんというか。

「楽しいことをしても、つらさはセットじゃないし、誰にも怒られないし、大丈夫だ」と思えるようになるまで、楽しい体験をしまくるしかないような。

ただし、リスクを伴うこと(ギャンブルやお酒や男女のあれこれや)は、楽しみではなく快楽だし、自分を傷つける可能性のあることは避けなければいけない。

あくまでも小さい子供としての自分を楽しませることをたくさんすることが大事だと思います。

たとえば、ウィンドウショッピングとか、おいしいおやつとか、ネイルやメイクとか?

そう思うと、楽しいことって些細なことの積み重ねなのかもしれませんね。

(そんなことも許さなかった親め!器が小さいぜ!)


【どうやって自分を楽しませてやろうか】

「さぁどうやって自分を楽しませてやろうか」とあれこれ考えるだけでも、なんかウキウキ・ワクワクしてきて、「あれ、なんか楽しい気がする!」と、この文章を書いている最中にも感じてきています。

それくらい、自分自身は人生を楽しみたいって思ってるってことですね。

というわけで、この記事はそろそろ終わりにして、楽しそうなことをリストアップしようかな。

これから、たくさん楽しいことをしていきましょうね。

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