親と絶交してから数年は、毎年の「母の日」「父の日」が鬱陶しくて仕方なかった。
でも、それは私が「親に感謝しなければいけない」という思い込みにとらわれていたからだと今は思う。
それをやめたら、自責の念に駆られることや親について思い悩む時間が減って、少しだけ気持ちが楽になった。
自分を大切にしたいなら、無理に親に感謝しようとするのはやめよう。
【親への感謝は当たり前じゃない】
周りの友達は親に感謝しているのに、自分は親のことを考えると苦しくなる。
親には感謝しているつもりだけど、なんだか上滑りする感じがして落ち着かない。
そういう感覚があるなら、無理に感謝しようとしなくていい。
感謝って、自然と心から湧き上がってくるものだから、そうじゃないならそれが事実だ。
感謝される親は、感謝されるようなふるまいを日頃からしているから、感謝されている。
もし自分の親がそうでないなら、親自身の問題であって、感謝できない自分が悪いのではない。
【無理に感謝しようとする弊害】
私自身は、小さい頃から「親には感謝するものだ」と教えられてきたし、親に意を唱えようものなら「ひねくれ者」と罵られた。
だから、「親に感謝しなくちゃ」という義務感と、「感謝できないなら自分は親不孝なんだ」という思い込むようになった。
大人になって、誕生日や母の日・父の日でプレゼントをしても、なんかふわふわして他人事のような気持ちがしていた。
今から思えば、そのふわふわする感覚は、親への怒りや悲しみを無視して感謝しようとしたことに対する抵抗感だった。
本当はしたくない。
でも、悪い子と思われるのが怖い。
だから、「本当はしたくない」という本音を押さえ込んで、いい子を演じる。
それを繰り返した結果、自分の感情が分からなくなって、「ふわふわ」「もやもや」した感覚だけが残ったんだということ。
自分の心に嘘をつき続けると、自分の感情さえもわからなくなってしまう。
そして、自分の感情のコントロールを失い、メンタルを壊していく。
そんな感じで、親に無理に感謝しようとするのは自虐と同じなんだよ。
【親よりも自分に優しい生き方を】
もし、親に感謝できないことを悩んでるなら伝えたいんだけど、それはあなたが悪いからじゃないよ。
むしろ自分の感情を抑えてまで親のことを考えられる、優しい人。
でもそれを続けていると、親よりも先に自分の心が死んでしまうかもしれない。
本当の意味での親孝行とは、産んでもらった自分を大切にしながら生きること。
どうかその優しさを、自分自身に向けてあげてください。
毒親をテーマに作った歌です。こんな扱いを受けても感謝しようとしてた私は、やっぱり心がマヒしてたんだと思う。
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