今日は「反抗期の子供」をテーマに書いていこうと思う。
私は専門家でもなんでもないし、子育てもしていない。
ただ、私が反抗期の時に親から受けた接し方は、私のその後の人生をすごく生きづらいものにしたのは事実で、そのような子が1人でもいなくなるよう願ってこの記事を書く。
【反抗期とは】
反抗期とはどんな時期か。
人は1回目の反抗期、「自我の芽生え」や「魔の2才児」とか言われる時期があり、その後、思春期に「自我の目覚め」の時期を迎える。
親にとっては思い通りにならず、イライラする時期だろうけど、それは親が正しいというのが前提で、子の「反抗」ととらえるからイライラするのだと私は思う。
だから、「反抗」というとらえ方自体に私は問題を感じている。
(便宜上、反抗期って言葉は使うけども。)
子供にとっては反抗というつもりはなく、他人との関わりの中で自分のあり方を確かめているだけなのだから。
【私の反抗期 ビフォーアフター】
私自身のことを実例として書いてみる。
私は、歌を作り始めたのが14才の時で、それなりに恋愛もした。
なんとしてもいい大学に行かせたい母は、音楽も恋愛も頭ごなしに否定した。
もう覚えてないけど、屈辱的な言葉をたくさん浴びたことは確か。
どんなに母が理不尽でも、父は頑なに母の味方をし、私をひねくれ者だと言った。
お金を出す出さないの話を持ち出され、私は自分を諦め、親の言う通りに必死で期待に応えた。
そんな生活が、大学進学で家を出るまで続いた。
その結果、私は自分のやりたいことをやるのに、常に罪悪感がつきまとうようになった。
他人の顔色をうかがい、取り繕うようなコミュニケーションしかできず、誰も信用できなかった。
理不尽にあっても怒れずに我慢したり、それすらも気づけず、後になって自分だけが損をしていたことに気づくことも多々あった。
認めてもらおうと頑張れば頑張るほど、報われないことに絶望し、本当の自分がわからなくなった。
訳もわからず涙が出たり、希死念慮を抱いたりするようになった。
生きづらさの大半は、反抗期も含め、それまでの親との関係性が投影されたものだったように思う。
【反抗期の親の役割】
もし、親の望む未来と子供の自我が一致していれば、大きな反発にはならないだろうけど、そうでない場合にどうするか。
親がエゴを押し通し、子の自我をつぶしてしまえば、私のように子のメンタルを壊すことになる。
逆に、未熟さゆえの自我の暴走にブレーキをかけられなければ、子が人の道を外してしまうことにもなりかねない。
それまでの関わり方も含め、親としての資質と力量が試されている。
反抗期とは、子が巣立つ前の、最後の「確認」だと思う。
それが済んだら、子はその自我を土台に自分の人生を構築していくことになる。
【黙って信じろ】
SNSを見ていると、
「もう親をやめたい」
「こんなに頑張っているのに理解されない」
のような悲痛な言葉を見かけることもある。
でも、親と同じくらい、子も理解されないことを苦しんでいることは忘れないでほしい。
自己正当化したいのは、自分が生まれてきてよかったかどうか確かめたいのだ。
ひどい言葉を投げかける時、それでも見捨てないでいてくれるかどうか、確かめたいのだ。
毎日のことだから親のほうも冷静ではいられないと思う。
進路のことだって気になるだろう。
でも、子供が笑ってること以上のことを親が望むのは望みすぎだと私は思う。
子供は、反抗期を通じて自分が生まれてきた意味を親に問うているのだ。
私が親に望むことは今でも、黙って信じる、ということ。
それが、「あなたはあなたでいていい」というメッセージになると私は思う。
↓子供の頃に親に望んでいたことを歌った曲です。
あなたはあなたでいいんだよ、そんなメッセージを込めました。