以前、私は自分で掃除ノルマを決めて躍起になって掃除をしていた。
でも、そういうのをやめたらとても楽になった。
自分を大切にしたいなら、掃除は適当が一番だ。
【掃除を頑張りすぎる心理】
当時、私は掃除を単なる家事としてとらえてなかった。
掃除は結果がすぐ出て達成感を得やすいし、世間にも「ちゃんとした人だ」とアピールできる。
スピ系自己啓発よりもまともっぽくて、専業主婦の存在意義を証明しさえしてくれる。
何より、手っ取り早い。
反面、ちょっとした汚れが許せなくなり、掃除ができない時は罪悪感や焦燥感に駆られる。
結果、掃除に多すぎる時間と労力を費やし、疲れ果ててしまうのが常だった。
【掃除を頑張るのをやめた】
そんな私が、掃除を適当にやるようになったのは、自分が熱心にやってる掃除そのものが、親への「認められたい」願望からきている行動だと気づいたから。
私の母は掃除が嫌いで、家の掃除は祖母(実母)がしていたにもかかわらず、祖母には横柄な態度。
私はそんな母を軽蔑していた。
私は母とは違って、きちんと掃除ができる。
物だってため込まない。
だから、母より私は優れているはずだ、認められるべきだ、褒められるべきだ。
目の前にいない母に自分を必死にアピールするように、掃除をしていた。
そのことに気づいて、げんなり。
こんな生活の一部分にまで、私は母の愛を渇望していたんだと。
もうそんなアピールしなくていいんだよ、と自分に言い聞かせて、少しずつ手を抜くようにした。
以来、私の掃除は適当だ。
自分が疲れない程度に、心地よくいられる頻度でする掃除は自由で気楽。
誰にアピールすることもないから、余計な装飾品や掃除道具にお金をつかうこともない。
余った時間とお金は、音楽と犬と自分磨きに注いで、専業主婦を満喫している
誰が何と言おうと自分が幸せなんだからこれが正解なんだと思う。
【心地いい適当さを身につけよう】
掃除をするのはいいことだって取り上げられがちだけど、それに固執すれば常同行動と変わらない。
なぜ掃除を頑張るのか、自分に問いかけてみると、不安や過去への執着に気づけるかもしれない。
そういうこだわりを手放して、自分が心地いいと思える適当さで、自分を大切にする生活習慣を身につけていこう。
↓頑張りすぎてしまうあなたにこそ届けたい歌です。