「この人と話すとどっと疲れる」
「あの人と一緒にいるとみじめな気持ちになる」
もしそれに気づいたなら、その人とは距離を置いたほうがいい。
自分を不快にさせることを許さない、その勇気こそが自分からの信頼、自信につながるから。
【不快な人はあなたを選んでいる】
親でも知人でも、一緒にいて不快になる人は「自分だけが気持ちよくなるために私が利用されている」と感じるから、不快になるんだと思う。
「あなたは優しい」「あなたが必要」などと持ち上げておいて、自分のペースに引き込み、気づいたらマウントを取って、私の気分はおかまいなしに話をし続ける。
話の内容といえば、自慢、グチ、悪口がほとんど。
話の主導権は常に相手が握り、私が話そうとしてもいつの間にか相手の話にすり替わり、延々と相槌を打ったり励ましたりするハメになる。
それでも、なぜ一緒にいるのか。
あえていやな書き方をするけど、「嫌われたくない」「役に立って必要とされたい」という「すけべ心」があるからだ。
相手を利用しようとしているのは、自分も同じというわけ。
相手はそれを見越して、わざわざターゲットとして私を選んでいる。
その事実から目を背けたままでは、不快な人と離れることは永遠にできない。
【母と絶縁した私の体験談】
私の場合は、母がそうだった。
電話をかけてくるたびにグチを聞かされたり、なじられたり、電話を切るたびにぐったり。
それでも私は「親孝行のいい娘」であり続けるために、それを甘んじて受け入れていた。
そうでなければ、自分に存在価値がないということに怯えていたからだ。
でも、母が夫に失礼なことを言ったことがきっかけで、縁を切ることにした。
いざ連絡を絶ってみると、憂鬱な気持ちになることが減って、かなり気が楽になった。
それだけでも、ずいぶん自分に我慢をさせてきたんだなと気づけたし、それを私に強いてきた母への見方も変わった。
私に存在価値がないのではなく、ないように扱われていただけだったんだと。
一時的に復縁しかけたこともあったけど、一度不快から離れる体験をすると不快なことに敏感になるようで、母からの再度の不快な発言に、開きかけた心が完全にシャットダウン。
以来、母とは絶縁状態が続いている。
【不快から自分を守ろう】
母という、いわば生きづらさの元凶から距離を置くことに成功した私は、他人からの不快をかわすことができるようになってきている。
会話の途中でも、続けたくない会話にはあえて返事をしない技(?)を身につけたし、全部の会話にわざわざ相槌を打つようなサービスもやめた。
相手は居心地が悪くなって、話題を変えるか去るしかなくなる。
不快な人間につきまとわれるくらいなら、1人でいたほうが快適だし、嫌ってくれてけっこう。
そのくらいのメンタルにはなった。
だから、他人とのコミュニケーションが苦ではなくなったし、そのことで生きづらさの大半は解消できているような気がする。
すけべ心で人付き合いをする自分自身がみじめで、心底嫌いだったから、そんなことを自分にさせないで済んでいることが私の自信になっている。
だから、もし一緒にいて不快だなと思う人がいるなら、たとえ親だとしても、大切な自分をやすやすと利用させないであげてほしい。
勇気を持って距離を置く、自分を不快から守る。
それを続けていれば、自分を信じられるようになっていくから。
自信に満ちた自分なら、その不快な人と付き合い続けようとは思わないはずだよ。
自分のために生き始めようとするのは、夜の海に船を出すようなものかもしれない。
↓この歌が背中を押してあげられるかもしれません。