私の家の目の前に小さな公園がある。
私がこの町に引っ越してきて最初の年は、月に一度の地域清掃の日があり、自治会でも公園の草むしりや落ち葉の清掃をしていた。(……と言っても、高齢の自治会役員が数名で行っていただけだけど。)
ところがその年、自治会をしていた役員から不満の声があがり、自治会自体の存続が話し合われることになった。
結果、その次の年は有志数名が新たな役員となり、自治会自体は一応は存続することになったけど、公園の清掃は自治会としては行わないということになった。
【私が公園清掃をすることになったのは】
私自身は、犬の散歩で公園は毎日利用するので、できるだけ公園清掃に参加していたのだけど、自治会の縮小や消滅は時代の流れだし仕方のないことだと思っていた。
公園清掃がなくなったのは春先のこと。
夏が近づくにつれて、草はボーボーに生い茂り、草の増加とともに虫も多くなった。
ゴミのポイ捨ても目立つようになり、茂みに隠すように不法投棄が発生。
神戸市は年に2回ほど草刈りや剪定をしているとサイトにあるけど、それではとてもじゃないけど間に合わない。
もう一度書くけど、公園は我が家の目の前なのである。
この公園の治安は我が家の治安そのものと言っても過言ではないし、愛犬にとっても汚い公園はリスクでしかない。
私は「地域のため」というよりも、自分自身と家族が気持ちよく暮らしていくために、公園清掃をすることを決めた。
自治会とは、町内という共通のものに対して自治したい人が複数いるから会になるだけで、自治の必要性は時代が変わっても消滅しない。
近年では自治会は不要だと言う人も多いけど、町がどうなろうと誰のせいにもできないということは認識すべきだろう。
【公園清掃がもたらした変化】
公園清掃と言っても、やることは草むしりがメイン。
最初は自治会の倉庫にあった鍬(くわ)を使っていたのだけど、重いし、地面は固いし、疲労感がハンパない。
両手にはマメができたりつぶれたり、、腰痛はひどいし、これはしんどすぎる。
ホームセンターで軽量のレーキを購入、それを使い始めたらあまりの使い勝手のよさに感動。
草むしりが一気に楽しくなった。
ちょうどアマプラで『進撃の巨人』にどハマりしていたこともあり、「1本残らず駆逐してやる」をスローガンに労働を捧げた。
私はマイクラやらあつもりのごとく、ゲーム感覚で草むしりを楽しんでいるのだけど、時々出会うおじいさんやお散歩を日課にされているお姉さんが労いの声をかけてくれ、顔見知りが増えたみたい。
草むしりをした後はなんだか誇らしく、自分がきれいにした公園で遊ぶ子供や散歩する犬、休憩する人を見ては嬉しい気持ちになった。
夏はすぐに草が生えてくるため、気まぐれと言いつつも3週間に1度は草むしりをしていたと思う。
そんなある日、近所に住む奥様が「手伝います」と声をかけてきた。
お互いご近所さんだと認識はしつつも、会話なんてしたことがなかったのに……!
世間話をしながら一緒に草むしりをして、思わぬ楽しい時間になった。
かと思えば、昨年まで一緒に清掃していたけど脳出血で半身不随になってしまったおじさんが、私の草むしりを見て奮い立ち、「リハビリや」と言いながら草をむしり始めたり。
先日は自治会の役員会で夫が私の頑張りを話してくれたらしい。
私の草むしりが、少しずつ人の行動に影響を与えているということだ。
これからどう変化していくかは続けてみないとわからないけど、公園の草むしりもバカにしたもんじゃないなと思う。
【公園で勝手に枯山水】
レーキで公園の草が生えている場所を耕し、引いた草を集めてゴミ袋に詰めるのだけど、そんな時に役立つのが「がんぜき(熊手)」だ。
がんぜきなんて持ったのは小学生以来だったかもしれないけど、これがまた優れた道具なのである。
引いた草には土がついているので、ある程度乾かして土をふるい落としてからゴミ袋に入れなければいけない。
でも、私にはがんぜきがある。
そんなこと文字にするのもバカバカしいかもしれないけど、わざわざそうしたいくらいに、私はこの「がんぜき」が気に入った。
公園中を引いて回れば、草からは土が落ち、地面は平坦にならされ、枯山水さながらの模様が残る。
下手に回ればうねってしまうし、きれいな線を描くには慎重さと素早さの両方が必要だ。
自分の足跡を消しながら、集中して公園内をぐるぐると回る。
他人から見たら「何をやってるんだろう」と疑問に思うだろうけど、そう思わせたら私の勝ちだ。
おもしろそうなことをやっていたら、参加したくなるのが人間心理だろうから。
家に帰って、自宅からきれいな枯山水を眺めていたら、まだ誰の足跡もついていない公園に1台の原付がやってきた。
一瞬、躊躇するように停車した後、枯山水にぐるりとタイヤの跡をつけた。
誰もがやってみたいと密やかに思う「枯山水に足跡をつけること」の一部始終を目撃して、クスッと笑ってしまった。
それがまた見たいから、今日も私は枯山水を作った。
【公園清掃の生産性】
公園清掃なんて何の生産性もないと言ってバカにする人は多い。
けど、公園清掃の価値は、公園清掃をする人にしか得られないだろうと思う。
私自身は、顔見知りが増えて、コミュニティの中での存在感を自分自身で築きつつあることを実感している。
公園に生えている植物や、そこにいる虫や猫にも愛着を覚え、誰も見ていなければ話しかけもする。
引っ越してきた時には、誰も知る人もいない古い町にあるただの寂れた公園だと思っていたのに、少しずつ私の大切な場所になっているんだろう。
後になって「枯山水」について調べてみたら、禅の思想に基づいて心を落ち着かせるための空間として作られたもの、とある。
でも、枯山水を作ってみると、きれいな線を描くためにする没頭する時間のほうがよっぽどピュアで楽しい。
その間にいろんな思考がめぐって、インスピレーションも浮かびやすい。(だからブログを書くことにした。)
これのどこが生産性がない?
目先の生産性ばかりを追いかけて疲弊していくのは、自分自身を使い捨てるような生き方ではないだろうか。
そう仕向けたのは一体誰?
私が公園清掃をするのは、そういう思考にいつでも立ち返らせてくれるからなのかもしれない。
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