「なんで生まれてきちゃったんだろう」
「生きる意味がわからない」
かつて、私もそんな悩みを抱えていた。
結論としては、人それぞれなんだし明確な答えなんてないんだけど、、
今だから書ける「こう考えたらどう?」っていう1つの指針を示しておこうと思う。
【健全な人はそんなこと考えない】
私は夫をきっかけに知って驚愕したんだけど、健全な人はそんなこと考えないらしい。
失敗した時やうまくいかない時、必ずと言っていいほど「死にたい」って思ってた私。
夫はそんなこと考えるどころか、落ち込むこともない。
むしろどうしてそんなに大袈裟になるのかを不思議がられた。
そんな夫を見て、生まれた理由とか、生きる意味を考えること自体が異常なんじゃないかって思うようになった。
【なぜ生きる意味を考えてしまうのか】
確かに、脳みそ以外の細胞は生命活動以外の選択肢を持ってない。
生まれてきたら死ぬまで生きるのが生物として正常な活動で、それ自体に意味なんてないはずだ。
じゃあネガティブな思考を生み出してるのは何なんだって考えたら「自己否定」だと思った。
子供時代、私は条件付きの愛とでも言おうか、「親の言う通りにしていなければ愛されない」という状況で育った。
わがままや甘えは拒否され、自分の思うことは子供だからとバカにされ、とにかく自分という存在はそのままではダメなんだと。
だから、なるべくいい成績で、なるべくいい顔をして、なるべくいい子でいようとしてきた。
最初はそれでよかったけど、時間が経てばボロが出ることもあるし、それを取り繕うため、はたまた自己保身のための言動で事態を悪化させることはしばしば。
だから、学校や職場で浮いた存在になってしまうことが多かった。
家庭内で自己を否定して生きることが正しいことのように教育を受けたのに、それがうまくいかないんだから「自分の何が悪いんだろう」と思うようになってもおかしくない。
おかしいのは受けてきた教育のほうだ、と気づくのに私は38年くらいかかってしまった。
【生きる意味とは】
自分語りしすぎちゃったけど、要はいい子をすることで自己否定をするのはやめて、本来の自分でいればそもそも生きる意味とかそんなことを考えることはなくなるってこと。
そもそも、こういうことで悩む人は、いい子でいようと思わなくてもいい子のはずだから。
みんなに好かれようとしてはダメ。
いろんな人、いろんな考え方があるのだから、合う人もいれば合わない人もいるのが自然。
それを無理やりなんとかしようとするからおかしなことになる。
自分のままでいて、それでも離れない人を大事にすればいい。
ただ、人間は社会に生きる生き物だから、我を通しすぎればそれはそれで軋轢を生むもの。
対人関係を通して、ちょうどいい付き合い方を模索する。
そうして、自分にとって心地いい暮らしを実現していくこと。
強いて言うなら、それが生きる意味だし、生まれてきた醍醐味なんだと思う。
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