『ぼけ』を制作したきっかけ
私は小さい頃から、事あるごとに「ボケ」と母から罵られてきました。
だから「ぼけ」という言葉にはひどく嫌悪感を抱いていたんですが。
ある春の日、近所のぼけが見事に咲いていて、
「きれいな花なのに、嫌な名前…」と思った瞬間に「これだ!」と閃いたのがこの歌です。
家族に対する葛藤
家族について歌った作品としては、20代の頃に作った「my life」という歌があります。
この作品では、幸せな家庭を描いていて、当時は私もそうだと思っていました。
でも今から思えば、もちろんそんな面もあったけどそれは私の自己犠牲ありきのものであり、自覚なきままにいい子であろうとする自分が表れた作品だな、と。(実際いい子ですがね。)
後に、私は実家と絶交したのですが、そこで初めて自分の中に黒い感情が蓄積していることに気づいたのです。
それをすぐに歌にできなかったのは、「そんなことするべきではない」「社会的に責められるのではないか」という葛藤や恐れが自分にあったし、歌の中ではきれいな自分でいたいというロマンチシズム的な考えがあったから。
だから、早く解決しなきゃ……と足掻いていた時期があったけど、そうやって頑張ること自体が承認欲求なんだと気づいて愕然として。
それならばと過去を手放したら手放したで、自分を見失って何もやる気が出なくなり。
紆余曲折を経て、やっぱり私は音楽が作りたいんだと思っていた矢先に、とある音楽と出会いました。
ちゃんみなさんの音楽との出会い
それが、ちゃんみなさんの「美人」。
最初は見た目や曲調に抵抗があったのですが、彼女のことを調べれば調べるほど、それは私の偏見だったと思いました。
ネガテイブな過去だって芸術として昇華させることができる。
それを体現しているちゃんみなさんに勇気をもらったし、初めて自分の過去の体験を包み隠さず音楽にしようって思えました。
ラップに挑戦しようと思ったのも(ラップになってないかもしれませんが)、メロディより感情をダイレクトに表現できるような気がして。
「きれいな自分」をやめて、内臓をさらけ出すくらいの気持ちで歌いたい。
そう思ったんですよね。
過去と向き合うのは、それまでは本当にしんどかったのに、いざ怒りを音楽にしてやろうと思ったらワクワクして仕方なくて。
完成する頃には、清々しさすら感じるくらいになってました。
あの体験があったから、私はこの作品を作れたんだ…!って。
だから、機会があればちゃんみなさんに直接「ありがとう」って伝えたいと思っています。
この歌で伝えたいこと
私のように、親を起因として生きづらい人生を歩んでいる人は少なくないと思っています。
親も自分のアイデンティティの一部である以上、否定をすれば自己否定になり、受容すれば自分が潰れてしまう。
そんなジレンマの中で、自身の成長の機会を失うどころか心身を壊してしまう人もいる。
社会の大半は健全な家庭だろうから、こんな歪んだ親子関係があること自体、理解すらされない。
「甘え」や「未熟」などと責められ、挙句の果てには「発達障害」なんてレッテルを貼られ、自分でも「そうかな」なんて思い込んで、小さく小さく生きていく。
ほんま、めっちゃ理不尽ですよね……!
私自身、「親を悪く言うのはタブーだ」という感覚がありましたが、芸術がそれをしないで誰がするんだって。
親から愛されるために頑張ってきたこと、それでも認めてもらえなかったこと。
たくさん飲み込んできた本音の数々。
「そうよ 私はぼけよ」と開き直るのに、私は40年かかりました。
もっとうまく生きる術はあったと思う。
だからこそ、この歌が同じように親子関係で苦しんでいる人に届いて、人生の花を咲かせるきっかけにしてほしい。
そして、社会全体がお花畑になったらいいなと本気で思います。
私はぼけだけど、あなたは何のお花?
コメント欄で教えてね。