親と絶交してから数年は、毎年の「母の日」「父の日」が鬱陶しくて仕方なかった。
でも、それは私が「親に感謝しなければいけない」という思い込みにとらわれていたからだと今は思う。
親に感謝できなくて、自己嫌悪する必要なんてないんだよ。
【感謝しているつもり】
私自身は、絶交するまでは母の日・父の日が来たからとりあえずプレゼントをするって感じで、感謝を伝えるにも、どうもふわふわする感覚をずっと抱いてた。
他人事のように感じる、というか。
そのふわふわする感覚、実は親に対する怒りや悲しみを無視して感謝しようとしたことに対する抵抗感やったんよね。
本当はしたくない。
でも、悪い子と思われるのが怖い。
だから、自分が我慢して、親の期待に応えることを選ぶ。
それを繰り返した結果、自分の感情が分からなくなって、「ふわふわ」「もやもや」した感覚だけが残る。
受け入れたくない事実かもしれないけど、私と同じような感覚を持っている人がいるとしたら、それは感謝してるつもりってこと。
きっと本音は別にある。
【親に感謝すべきという思い込み】
では、どうしてそんな思い込みが生じたのか。
「誰のおかげで生きられると思っとるん」
「親に歯向かうなら何もしてやらん」
小さい頃からそんな風に言われていたら、親に反対することに強い罪悪感を覚えるようになる。
自分が受けてきた人格否定さえ無視すれば、いい子でいさえすれば、とりあえず安全に生きていられる。
それが、子なりにできた防衛策やったと思う。
私の親世代の親って、戦時中の人が多いと思うのね。
トップダウンのほうが戦争で統率をとりやすいし、親の言うことは絶対としてるほうが、何かと都合がよかったんじゃないかと。
直接的には関係ないかもしれんけど、「親に感謝すべき」社会通念ってそこからきてるのかな〜と思ったりする。
だから、親がそういう思想だったことも、仕方ない部分はあるとは思うんやけどね。
【親に感謝できなくてもいい】
けど、冷静に考えたら「感謝」って自然発生的な感情であって、強制的に行うものじゃないからね。
まして、親のほうから「感謝しろ」って言うのはおかしいし、「感謝できない子が悪い」なんて、とんだ責任転嫁やんね。
だったら感謝されるように努力しなよ?って話。
それに気づいてからは、悩んでるのがアホらしくなっちゃった。
親を感謝できないのには、それなりの理由があるんだよね。
【自分を責めないでね】
もし、親に感謝できないことを悩んでる人がいるなら伝えたいのですが、それはあなたが悪いからではないよ。
むしろ、自分の感情を抑えてまで親に感謝しようとする、優しい人。
私自身は、「この部分は感謝しているが、この部分にはとても怒っている」という感じで、罪悪感を軽減しつつ自分の感情をきちんと受け止めるようにしています。
本当の意味での親孝行とは、産んでもらった自分を大切にしながら生きること。
どうかその優しさを、自分自身に向けてあげてね。
自分を大切にする、とは具体的にどうすること?
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↓毒親をテーマに制作した歌です。