【4コマ漫画】テトロドかあさん #27 命より大事な勉強なんてない

テトロドかあさん タイトル画像

じゃばみ(@jabamichan)です。

4コマ漫画「テトロドかあさん」は、アダルトチルドレンだと自覚するじゃばみが、アダルトチルドレンを克服するために描いているノンフィクション漫画です。

 

まずは、今日の4コマ漫画をどうぞ。

毒親 4コマ漫画 テトロドかあさん


 

【思いつきで犬を飼い始めた結果】

 

今日は我が家にとってはタブーに近い話題、飼っていた犬についての話だ。

なぜタブーかと言うと、あまりに暗く、悲しい気持ちになる思い出だから。

でも、私は自分の人生をふり返るにあたって、なかったことにしてはいけないことだと思った。

 

だから少しつらいけど、思いのまま書いてみようと思う。

 

あれは中学校の入学式の数日前のこと。

入学にあたっての保護者説明会かなんだかの日の朝だった。

何気なくのぞいた市報に「子犬ゆずります」という記事が載っていた。

 

「見に行ってみようか」

 

ほぼノリだった。

犬を飼いたいなんて話したこともなかった。

でも、この日はなぜか私も母もノリノリで、記事を見た勢いそのままに子犬を見に行った。

 

子犬はキャラメル色とこげ茶色の2匹いた。

ビーグルの雑種で、耳がたれていてとてもかわいい。

 

私たちの他にもう1組いて、あれよあれよと言う間に「どちらを選ぶか」という話にまでなっていた。

ジャンケンで勝った私は、こげ茶の子犬を選んだ。

 

それがプーとの出会いだった。

まだヨチヨチとしか歩けないプーを車にのせて、中学校に向かったのをよく覚えている。

車の中で「名前はプーちゃんがいい」と言った矢先、プーが車でおならをした。

「レモンちゃんがいいんじゃない」とか言っていた母も反論の余地を失った。

 

 

職場の電話でその話を聞いた父はびっくりしていた。

当たり前だ。

犬の飼い方も知らないのにある日突然子犬を連れて帰ったのだから。

(母には何か犬を飼うきっかけがあったのかもしれないが、私には知る由もない。)

 

急遽玄関にバリケードを作って、犬小屋を買うまでの一時しのぎにした。

「犬は家畜だ」という認識だった父は、プーを部屋にあげさせてくれなかった。

 

 

そうして、あまりに唐突に、思いつきで飼い始めたプー。

朝の散歩に行ったのはほんの数回で、早起きが苦手だった私は学校のために起きるのに精一杯だった。

中学で入った卓球部は、顧問の先生が熱心で休みがほとんどなかった。

また、中学から通い始めた英語の塾は萩市で一番厳しいと有名の塾で、学校の宿題と部活と塾の宿題で手一杯だった。

プーの世話なんかできるはずなかった。

 

結果、ばあちゃんと、小さい頃から親しくしていた近所のお兄ちゃんがそれぞれ空いている時間に散歩をしたりエサをやったりするようになった。

私は気まぐれに散歩に行ったり、頭をなでたりするだけだった。

プーはいつも犬小屋に繋がれて退屈そうにしていたから、「散歩に行こうか?」と声をかけるだけで、しっぽがちぎれるんじゃないかと思うほどバタバタとしっぽを振って喜んだ。

 

それがまたすごくかわいかった。

 

近所の人はプーが喜ぶのがかわいくて仕方ないから、いつからか甘いチョコレートやお菓子をあげるようになった。

誰も犬の飼い方を知らなかった。

 

 

プーが初めて生理になった時、ノラ犬がやってきた。

山口県の片田舎だ。

普段はそう見ることのないノラ犬が、どこからかやってきたのがとても怖かった。

母は「一度は出産させてやりたい」と言ったが、ばあちゃんが許さなかった。

 

避妊手術の後、ホルモンバランスの関係もあってかプーは激太りした。

もっと散歩にも連れて行ってやるべきだった。

それでも日々押し寄せてくる勉強がそれを許さなかった。

 

高校受験を経て、私は高校生になった。

そのあたりから、プーは食べ物を食べなくなり、ぐったりと過ごすことが多くなった。

 

父が動物病院に連れて行くと

「糖尿による尿毒症です」と言われたそうだ。

水も与えないでください、と。

 

 

それでどうやって生きられるんだ。

とても納得できなかった。

 

 

 

他の病院に行っていれば何とかなったかもしれない、、

 

でも私にはそんな考えも起きなかった。

というのも、「仕方ない」と思うように言い聞かせられたような気がするからだ。

だから私はまるで人ごとのように毎日机に向かっていた。

 

 

はっきり言ってベストを尽くさなかったのだ。

 

でもそれがうちの限界だった。

兄は高校から私学の進学校で寮生活をしていたし、父も母も兄の学費と生活費のために朝から晩まで働いていた。

犬のために透析なんかさせてやれない、それがうちの答えだったんだろう。

 

 

いよいよ容体が悪くなった日の夜、父が病院にプーを連れて行き、その夜は病院で預かるということになった。

 

 

翌日、学校が終わったらプーを迎えに行こうと思いながら高校へ行った。

しかしながら、学校から帰った時にはもうプーは土の中だった。

 

私が高校1年の5月だった。

たったの3才だった。

 

最後の夜、ケージに入れられたプーに父が

「また明日来るからね」

と声をかけると、プーはぐったりしていた体を起こして父の方にまっすぐ座ったそうだ。

 

プーは最期と悟っていたんだね。

 

犬を飼うにはあまりに足りてなく、あまりに稚拙な我が家だった。

それなのに、プーは最後の力をふりしぼって父に別れの挨拶をしてくれた。

 

本当にタブーだったから、この最後の夜のことはほんの数年前に初めて聞いた。

 

もう20年も経つというのに、後悔と申し訳ない思いが20年経った今でも、時々私の胸をしめつける。

思いつきで犬を飼い始めた結果、私たち家族は思い出すのもつらい陰を連れて生きていくことになった。

 

そして、あの時に何もしてやらなかった自分に対する違和感が今頃になってもやのように私にまとわりつくのである。

 

 


 

【命を見殺しにした愚かな学歴主義家族】

 

犬の飼い方1つとっても、研究するには立派な題材だし、人生を幸せに生きるための知識ならどんなに持っていても損はない。

 

それなのに、私のしてきた勉強は一体何の役に立った?

誰を幸せにした?

 

プーの、家族の命を軽んじるような人間が勉強したところで一体何になる?

 

 

それに気づくべきだった。

父も母も私も、それに何の疑問も抱かなかった。

プーの命よりも、勉強を優先することが普通だと思っていた。

 

何もしてやらなかった、あの違和感の正体は、学歴主義だ。

 

学歴主義にとらわれて、大事なことを見失ってしまっていた。

私たちは、ただのバカだ。

 

それなのに、大人になってもなお、母は事あるごとに学歴主義的な発言をしてきた。

まとわりつくもやの中で、それは私の耳から入って体内で化学変化を起こし、母に対する軽蔑に変わり私の頭痛の種となった。

 

思い出したくもない、暗く悲しい出来事。

それはただ単なる悲劇であるということではなく、それを思い出したら自分が痛いからだ。

 

バカで、弱い。

最低だ。

 

そうして私たち親子は、1年前のある日のケンカがきっかけでバラバラになった。

自分を取り戻したいと思い、この1年自分と両親のことを考え続けてきた。

ほじくりたくもない過去をわざわざほじくり返して、いちいち自分のことを慰めてやった。

 

そうして初めて、自分は自分でいいんだと思えるようになった。

痛い過去にフタをしたまま前には進めないんだということも知った。

 

だからこれからは、バカで弱い最低な自分を受け入れて生きていこうと思っている。

 

バカで弱い最低な両親のことも。

時間はまだかかりそうだけれど。

 

 

あれからちょうど20年の月日が経った5月。

プーを思い出して泣きながら書いている。

こんな悲劇が繰り返されませんように。

今の私にできる、せめてもの償いだ。

 

 

つづく