幸せについて考える

「幸せになりたい」

漠然とそのように願い続けている人は少なくないのではないだろうか。

私自身、小学生の頃から、近所のお地蔵さんに拝む時、流れ星を見た時、決まって「幸せになれますように」と願っていた。

じゃあ、幸せって何?

41歳の今、その問いに答えてみようと思う。


【幸せって刹那的】

分が今までに幸せだと感じた時は、どういう時だろう?

私自身は、以下のような時。

  • おいしいものを食べている時
  • 挑戦したことを達成した時
  • 人に思いが通じた時
  • 欲しいものが手に入った時

こうして見ると、幸せって刹那的な感情なんだってことに気づく。

「あ〜幸せ」って感じた次の瞬間には、もうそのことは過去になって、また次の欲求が生まれるのだから。

それが生きるモチベーションになるというメリットはあるけど、それに固執すれば一瞬の幸せを次から次に追いかけ続けることになる。

若い時はそれでもやっていけるけど、中年にもなるとそれはキツい。

外的な要因の幸せじゃなく、内からの幸せを感じられるようにならないとね。


【自分の現状を受け入れる】

ゃあ、いつも幸せそうな人ってどうしてるの?ってことだけど、「自分の現状を受け入れること」だと私は思う。

私自身は、ずっと「自分にはお金がない」と思っていたけど、でも現実にはちゃんと衣食住があり、大きなケガや病気もなく今日まで生きてこられた。

それは、そうではない人からしたら、幸せすぎるほどの幸せだ。

それなのに不幸だと自分を位置付けてしまっていたのは、心の奥底に「そんな自分では認められない」という自己否定があったから。

私自身は、「親に認められたい」という未完の感情を抱えて生きてきたけど、それを手放した時に少しずつ今の自分を受け入れられるようになった。

「そんな自分では認められない」という自己否定の元凶は、そう私に言って聞かせた親であり、大人になって親元を離れても親に教育された私自身が、自らを否定していたのである。

もう親に認められなくてもいいや、そう心から思った時、私はいい子でも悪い子でもない、ただの私になった。

たとえ何の肩書きがなくても、たとえ不妊でも、たとえ庶民的な暮らしだとしても、私は私という人間として完全であり、それ以上でもそれ以下でもない。

その私が選択をし行動して、今の私があるんだから、それを受け入れずして幸せなんてありえないのだ。


【幸せ思考を身につける】

と、「ポジティブ思考をあえてする」ことも大事。

たとえば、車にクラクションを鳴らされたとして、「最悪だ」思えば最悪な出来事になるし、「無事でよかった」と思えばラッキーな出来事になる。

幸せって思い込みってことはかなりある。

小さいことだけど、人生とはそんな出来事の積み重ね。

いかに「よかった」と思えるかが幸せな人生の鍵なのだ。

「どうせ私はネガティブだから」と思う人は、自分でネガティブだと決め込み、自ら不幸な思考を選択しているということは認識すべきだと思う。

私自身、以前はネガティブ思考だったけど、脳内で自分と随分会話して、補正に補正を重ねてやっとプラス思考ができるようになった。

「こうとらえるのはどうだろう?」

1つの出来事でも別の視点で考える習慣を身につけたら、一瞬の感情に振り回されることが少なくなる。

(そういう時にする判断は痛いミスになりがちだから……。)

それに、不幸だと喚いている人ほど、小さな幸せを見ようともしていないことにも気づいた。

そんな人にかまうだけ損なのだから、ネガティブ思考の人がどんどん置いてかれるのは自然なことなのだ。


【幸せとは】

て、小学生の時「幸せになりたい」と願っていた私は、今、幸せだと思う。

でも、それはイメージしてたようなお花畑って感じじゃなく、波のない凪のような感覚。

中庸、というか。

本当の幸せとは、幸せについてなんて考えない状態のことなのかもしれない。

それよりも、どうしたら楽しく暮らせるか、それを維持できるかを考え行動するほうが、大切だと思う。

幸せになる、というよりも、幸せでいるために努力する。

それが生きるってことなのかな、と思う。

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